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ムク ~前の前の家時代~ [ムク]

モップみたいなムク.jpg

 

(注1:「ムク ~前の前の家時代~」といいつつも、実際には「自分がアレアレになっていってムクと一緒に前の前の家を追い出されるまで」とかいうタイトルでもつけた方がいいんじゃないかとような内容になってしまってますが、

「自分以外の人には一見関係ないようにしか読めないかもしれないけど、少なくとも自分の中ではムクとの暮らしに大きく関係してたと思えることを書いてるよなあこれは」

と思える内容のものだけを拾ってまとめたつもりだし、何より、位置づけとしてはあくまでも前回の「ムク ~野良時代~」の続きであるということで、当初の予定通り「ムク ~前の前の家時代~」というタイトルにしました。)

 

(注2:「続き」とかいいながら、前回から8ヶ月以上も経ってしまってしまっておりますね。非常にあかんですね自分。全く。ええと、本当は、開始したら数週間以内を目処に最後まで一気にまとめるつもりだったんですが、まとめる作業が色々な意味でとてもとてもしんどかったのと、無気力やら何やらにやられてたのと、あと、ムクの写真を見たりムクのことについて少し考えたりするだけですぐに悲しくなってしまって、まとめ作業を始めてもすぐに止めてしまうというのを繰り返してしまっていたこと、その辺りの事情が原因で、結局こんなに遅くなってしまったのでした。ということで、すいませんでした。・・・って別に誰に謝る必要もないのかもしれないけど一応。)

 

(注3:「ムク ~野良時代~」と注1と注2を読んだらなんとなくわかるとは思いますが、ムクは永眠しました。昨年、2012年の6月21日の朝のことでした。その前後のことも含めてこのブログに一気にまとめるつもりだったのですが、注2に書いたような理由もあってそれが今のところ出来ていないので、とりあえず永眠したということだけは先に記しておきます。ムクのことを気にかけてくださっていた方々、本当に本当にありがとうございました。)

 

(注4:34000字とかアホかというくらい長いし、アレアレということでかなりどよ~んとした内容になってしまっておりますので、長いの苦手でどよ~ん耐性もないというような方はご遠慮した方がよろしいかもしれませんが、まああれだ、あれですよ、あれなので、アレな方は適宜アレしてください。)

 

(注5:前回の「ムク ~野良時代~」は、こちら。) 

 

(というわけで、以下、「ムク ~前の前の家時代~」。) 

 

 

 

20051117.jpg

 

  2005/11/18 09:44

 

 

↓1980年10月に生まれてから小一の終わり頃まで住んでたところ付近の1976年の写真。↓


http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo100/76/ccg-76-7/c19a/ccg-76-7_c19a_17.jpg

 

 

↓1988年の小一の終わり頃から18歳の3月まで住んでたところの1976年の写真。↓


http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo100/76/ccg-76-7/c19a/ccg-76-7_c19a_15.jpg

 

 

↓1999年の18歳の4月から23歳の3月まで住んでたところの1982年の写真。↓


http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo100/82/ccb-82-3/c3c/ccb-82-3_c3c_4.jpg



どれも、生まれる前や暮らす前の記録。



(ちなみに引用先はここです。)



ケミカル・リアクションが。





最近は音楽とムクのことばかりが頭の中の大部分を占めていて、その余波で様々なことが頭を駆けめぐっては消えていって、いや消えはしないのか。

 

少し身辺が一段落して溜まってた疲れに一気にやられたのか、何も飲まずに10時間くらい結構深く眠って(ムクが横にいた)、んで風邪をひきました。

 

「相変わらず僕は何とか大丈夫です」。

 

僕もなんとか大丈夫です。だってどうやら死んでないみたいだし!!


 

たまたま縁あってたまたま知り合えてたまたま仲良くなれた人たちとぐだぐだ話したりぐだぐだしりとりしたりぐだぐだ遊んだりぐだぐだ酒飲んだりぐだぐだ煙草吸ったりそれ以上は結構疲れるものでなんて必然の中でとりあえずは良いと思ったりあるいはそれよりももっと遙かにでかい世界で。

 

地均しして足踏みして構えて合図は無しで気が向いたら歩き出しては止まってそしていつも通り成れの果てに辿り着いたり辿り着かなかったりしながらいつかはそれら全ての成れの果てに辿り着いてそこがどういう場所かそこでどういう顔をしているのかそこでどんな気持ちでいるのかそこにどんな気持ちでいるのかそこは底なのかそういうことは全くわかるはずもないけどとりあえず今は咳をしていて喉が渇いてるんだからそれはそれでいいんだけど例のごとく一段落の虚脱状態ででもそれも比較でいえば多分そう悪いわけじゃない。


 

 

今日はムクの病院に行って明日は自分の病院に行ってそして明後日からは。

 

いつもみたいでも新しいといえば新しい朝だし。

 

面白いことや楽しいことをしてたいものだねえ。

 

どんなでもいいから全て素の状態で。

 

別に何の罠にもはまってないしどこぞの地獄にいるわけでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/11/24 06:10

 

 

睡眠薬ちゃんと飲んだのに何となく目が覚めました。


(ということで、さっきハル2錠と酒一杯飲んどきました。)


ムクが来て以来こういうことがままあって。



(同居人が起きた途端ムクがご飯をねだり始めるからその声で起きることが大半なんですけど。)



ムクは、お医者さんによれば、3~4歳。

 

「うーん・・・まあ4歳ってことにしときましょうか」。

 

ということで、推定4歳。

 

野良なら寿命で死んでてもおかしくない歳。

 

どんな事情があったにせよ、実は凄まじい悲しみに襲われながらも泣く泣くムクを公園に捨てたんだとしても、ムクに避妊手術をさせた上で捨てたクソのことはやっぱり許せない。

 

その避妊手術のおかげ(?)で、捨てられて以降妊娠・出産することは無かったはずだから(避妊されてない野良猫は1年に何回も妊娠・出産を繰り返して、その度に半端じゃないほどの体力が削られていって、メスネコの場合それで寿命が短くなる面も大きいらしい)、それだけ、それだけが本当に不幸中の幸いで。

 

相変わらず嬉しさはほとんど無い。

 

今日、根元からごっそり抜けた毛の束が落ちてた。

 

根元には血が付いてた。

 

リラックスした顔を見るたびに胸がどうしようもなく苦しくなって、本当に泣きそうになる。

 

薬を毎日飲ませてて、少しずつは下痢も良くなってきてるんだけど、再避妊手術(すでに避妊手術されてたので開腹だけで終わった)(というか、開腹したところ、すでに子宮はなく、避妊手術済みだったことがわかった)(ちなみに2度の開腹手術も肉体的には大変なダメージになるらしい)してくれた病院の人の話と合わせて考えると、どうも野良時代から下痢だったっぽい。

 

どうりで下痢止めやら抗生物質やらを毎日あげても少しずつしか良くならないわけだなあと。

 

下痢が数日間でも続くのは、ネコにとってはとてもよくない兆候らしくて。

 

ムクの野良時代は、多分最低でも2年以上。

 

どう考えても、もう長くはない。

 

もう長くはないんだよ。

 

今日、根元からごっそり抜けた毛の束が落ちてた。

 

根元には血が付いてた。

 

今日はいつも通り疲れまくりながらもなかなか楽しい1日(労働)だったんだけど、帰ってきてそれを見た途端、もう、もう。

 

いつまで生きてくれる?

 

さすがに僕よりは早いんだろうな。

 

1ヶ月?1年?あるいは?



 

実家時代の鳥と父親とのあれこれを泣きまくるほどに経験して以来、もう動物とは暮らしたくないって思ってた。

 

 

 

(ある鳥は僕と父親のせいで、ある鳥は父親のせいで死んだ。)

 

(父親は死んだら平気で次の鳥を買ってきてた。)

 

(その鳥は父親のせいで、凍え死んだ。)

 

(数日後、また鳥が買われてきた。)

 

(完璧に弾けてた世界がより完璧に弾けた。)

 

(新しくやってきた鳥は、父親への殺意もあって、もう可愛がることさえできなかった。)

 

 

 

なのに、どうしてムクは。




これから先、一体どれだけの数の大切な「もの」の死を見届けざるを得ない場面に遭遇するんだろう。

 

「僕より先に死んじゃ嫌だよ。」

 

そんな昔吐いた言葉もやっぱり、とてつもないほどの重みをもって襲いかかってくる。

 



繊細すぎるだけなのかなあ。

 

でも、それなりに色々あったんだよ。

 

誰にだって書き尽くせないほど言い尽くせないほど。



 

ムクは、今の僕にとっては、誰よりも何よりも大切な存在です。

 

僕には異常なまでに慣れていたのに、僕の手の上でなら仰向けで寝ることさえもあったのに、お互いにとってこれ以上はない存在だったのに、僕(と父親)が死なせてしまった鳥に対して、死なせてしまった後生まれて初めて味わったとてつもなく混沌とした感情のようなものより、ずっとずっと。



 

ムクの最期は絶対に見届ける。

 

何があっても絶対に。

 

そして、その後も決して自殺はしない。

 

絶対に。




 

笑われても別に構わない。

 

でも、僕は多分、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/11/25 14:20

 

 

昼酌中。


ちなみに昨日は、日記を書いた後、朝酌してロヒ1錠飲んで少しうとうとした後にリタ2錠飲んでから労働に赴きました。

 

朝酌とか昼酌とかロヒとかリタとかハルとかパキとかなんとかかんとかとかとか、家族にしてもムクにしてもバイト先にしても音楽にしても、なんだか本当にようわからん歳の重ね方をしてしまったもんだなあと。

 

でも、休日のこんな時間に部屋にいながらちゃんと起きて何かしら活動してるなんて、それこそ多分何ヶ月振りのことなので、少し上機嫌な面もあり。

 

 

1杯終わったあ!!

 

2杯目いこうかなあ♪

 

ベランダで煙草吸いながら飲んじゃうか♪




 


実行しました♪



 


外を石油販売の車が大音量で音楽流しながら通っていった。

 

 

(ネコにとってでかい音はストレスの原因にもなるらしいので窓をいったん閉めました。)

 

(ムクがいるから休日の昼間さえ歌も録り直せないでいるんですけど、んなことはムクが生きてることに比べたら埃の欠片の一欠片にも及ばないような小さな小さなことだ。)

 

 

「犬は喜び庭駆け回り~ 猫はこたつで丸くなる~」

 

うちのムクはソファァァで丸くなってます。 

 

寝てるムク.jpg

 

昨日また動物病院に行って薬を買ってきたんですけど、そこに貼ってあった図によれば、どうやらムクは「アメリカン・カール・ロングヘア」(あるいはアメリカン・カール・ロングヘアの血を強く継いでる雑種)みたいです。

 

(後日注:たぶん間違いで、実際はチンチラゴールデン辺りです。)

 

ムクを捨てたクソのことがさらに全くわからなくなりました。

 

よほどの事情があったのかな。

 

なんにせよ許せないけど。



 


昨日、ムクのことについて羅と話してたら、祖父が入院していることを思い出した。

 

痩せこけた姿。

 

看護士さんにオムツを替えられて。

 

喉からはチューブが。

 

よれよれの字で筆談するのが精一杯のおじいちゃん。

 

「また会いに来るよ」って書いたら、目に涙が溜まってた。

 

ムクのことで頭がいっぱいで頭の隅の方にいさせてしまってた。

 

同じ病院には祖母も入院してる。

 

「早く逝ければええんじゃけどなあ」なんて言ってた。

 

重すぎる。

 

重すぎて何も言えないよおばあちゃん。



 


なんとなくごめんよ。

 

本当にごめんよ。

 

色々と、本当に色々と、本当に、本当にごめんよ。



 


僕は、とりあえず昼酌できたりするくらいには元気にやってます。

 

2杯目も終わりました。




 

今日は何をしようかなあ。

 

お金を下ろしに行ってメールを送ってCD発送の準備して音楽聴いてムクと寝転んでムクを撫でてムクと遊べたら遊んで、それから、それから、それから、




 

それから?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/11/26 11:56

 

 

「いつだって とにかく 君と僕の繋がりを確認するんだ」

 

「雨とか晴れとかそんなの関係ないのに」

 

二十歳のときにそんな言葉を書いたな。

 

今日も遅寝早起き。


3時就寝7時半起床。


休日。

 

休日の昼間。

 

ムク。

 

ふしぎでふしぎでしかたがない。

 

というかじつかんがなひ。

 

今日も良い天気だわね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

餌とムク.jpg

 

  2005/11/28 01:35

 

 

一文字一文字を丁寧に選んでも。

 

その時その時の最大限のはずでも。

 

切りがない。

 

終わらない。

 

人生たまには陽性の勢いで何かをやり遂げてみたいもんです。

 

人生の中のごくたまにでいいから。

 

「ようせい」って打って変換キーを押したら最初に「妖精」が出ました。

 

なんか不思議な響きだよな。

 

なんか魅力的。

 

連れてってほしい。

 

咳が止まらない。

 

ムクの下痢がまた悪くなってる。

 

バイト中に母親のことがふと頭をよぎって、また倒れ込みたくなった。

 

例えば自分に子どもができたら。

 

揺らぐときもあり。

 

ちゃんと返り血を一緒に浴びなきゃいけなかったんだろうな。

 

全く揺らぐことがない。

 

今朝また新しい朝が来ましたね。

 

今はまた新しい夜ですね。

 

数時間後にはまた新しい朝ですね。

 

あっちとこっちを行き来しているようでいて、実は自分の手の平の上にいるだけだったり。

 

狭い枠の中。


手で穴でも掘り続けて。

 

反則技で枠から抜け出して。

 

新しい狭い枠の中に辿り着いた。

 

さて。

 

何から始めようかしらねえ。

 

とりあえず手の平でもひっくり返してみるか。

 

右手から落として左手でキャッチ!!

 

気づいたらお手玉になってた。



 

そっか。

 

どの方向にでも動けるんだ。

 

自分の意志とかそういうことは抜きにして。



 

自然に自然なのが自然だよなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/12/5 02:05

 

 

(すんません、ムクの入院のこととかアレこれのこととか等々で本当に時間が最近ないんです。)


(・・って別に謝ることもないのか。謝ってすまん。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20051207.jpg

 

  2005/12/7 05:20

 

 

ムクを病院に預けた日は16時間眠った。

 

 

病院に預ける前はとにかく下痢が酷かった。

 

帰ってきたら部屋中が下痢まみれになってることもままあった。


その下痢を見て、ムクの寿命だとか何だとかが頭に嫌でも浮かびまくって、同時に同居人をなだめるのにも必死で、とにかく先週は疲れまくってた。

 

全然うまく眠れなかった。

 

ムクがとりあえず数日間だけでもいなくなったことで16時間眠れてしまった自分にやや嫌悪感を覚えた。

 

面会に行ったときのムクは、怖ろしいほどに虚ろで虚無的な目をしていて、胸が痛くなった。

 

お医者さん曰く、「全く餌を食べないんですよ(苦笑)」と。

 

僕が頭を撫でたりを繰り返したら徐々に目に生気が宿ってきて、手の平の上に餌を置いてその手をムクの目の前に差し出したら、かなりがつがつ食べた。

 

「飼い主冥利に尽きますね」と言われた。

 

飼い主という言葉はあまり好きじゃないんだけど、その一言から一気に頭に浮かんできた漠然とした多くのことがらに対して、また胸が苦しくなった。

 

今のこの子には僕しかいないんだなあと。


ということで、(僕がいるとき以外と人が全くいないとき以外は)病院では全く餌を食べなかったのもあって、一昨日、ムクが帰ってきました。

 

下痢は・・・病院では全くウンコをしてなかった上に、療養食や薬の効果もあってか、形がはっきり分かる程度にはなってた。

 

さすがに嬉しかった。

 

うちに帰ってきた途端、リラックスして、しばらく僕のそばから全く離れようとしなかった。

 

今のこの子には僕しかいない。

 

風呂に入っただけでも、どっかいっちゃったと思っちゃうのか、出てきたらニャアニャアと鳴いてすり寄ってくる。

 

嬉しさよりも胸の苦しさの方が。

 

ということで、ムクが帰ってきた後も全然うまく眠れない。

 

 

 

羅に「『飼い主に似る』よねえやっぱり」と言われたんだけど、その言葉が頭から離れない。


 

 

病院でも「こんな子は本当に珍しい」と言われたムク。



 

傍にいるときはひたすら頭や喉を撫でてる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/12/15 02:35

 

 

カメラ目線で睡眠中の写真。

 

カメラ目線睡眠.jpg

 

空を飛んだら 蜘蛛の巣(悪意の網)にひっかかってしまった


こんなにも こんなにも 悲しいこと


そんな夢を見る



ここで 僕が生きることで 何か変わるのかな


おいで 君が嫌がるようなことは絶対にしないよ



水が涸れたら 僕らは死ぬのかな


死ぬのかな


まだ 実感が湧かないよ


空は 落ちるのかな


海は 涸れるのかな


僕は 死ぬのかな


君は 死ぬのかな


勘違いしないで


僕らの足は進んでいないんだ


進んではいないんだ


 

 

音楽ムク音楽ムク音楽ムク音楽ムクムクムクムクムクムクムクムクムク・・・

 

今は何よりムクです。

 

(今、後ろで切なげな声で鳴きました。)  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーターの前のムク1.jpg

 

  2005/12/20 02:17

 

 

悲しみにとりつかれたら、病気もちは眠り出す。

 

太陽をつかんでしまったら、切迫感にやられてしまう。

 

一人ぼっちが怖いから、こんな風になってしまってた。

 

 

 

外から帰ってきたら、ムクがひたすら鳴きながら駆け寄ってくる。

 

 

 

とりあえず、うちにきてよかったよね、ムク。

 

こんなにも寂しさを抱えてたなんて、うちに来るまで知らなかった。

 

暖かい部屋を求めていたなんて知らなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/12/21 02:26

 

 

相互理解くらい無価値。精一杯の努力くらい無価値。僕やムクのいのちくらい無価値。下らないテレビ番組くらい無価値。振り絞って書いた言葉くらい無価値。僕やあなたや彼女や彼(の精一杯の言葉)くらい無価値。朝焼けのあまりにも素晴らしい美しさくらい無価値。精一杯振り絞って人に伝えてみた言葉くらい無価値。音楽くらい無価値。芸術くらい無価値。発語感覚にこだわることくらい無価値。忘れてしまったことくらい無価値。思い出したことくらい無価値。寝たきりで点滴で命をつないでいるおじいちゃんくらい無価値。(尊厳死?安楽死?それとも?いずれにしても無価値。)クスリくらい無価値。あの人も僕も彼も彼女も無価値。太陽をつかんでしまったあの人も無価値。


(「無意味」ではないわよ!!)

 

 

全ては無価値だ。


でも、それは間違いなく事実だけれど、心からの感謝は?


大好きだよ。


それもまた無価値だとしても。


関係ねえ。


見ててね。


どっちが先か勝負。




無価値だって、きっと時には。




書こうとしてたこと忘れたんで、アレも効いてきたことだし、寝ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/12/22 02:46

 

 

心が失くなってゆく瞬間を見た。


打ち上げ花火みたいだった。


 

 

君には見せたくないと思った。


絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20051224.jpg

 

  2005/12/24 01:41

 

 

(心拍数が、全然、遅くならない。)

 

(全部、変わったのに、結局、何も変わらなかった。)

 

(黙るのだけはやめてくれ。)

 

(過去を振り返らない人生、過去を振り返りまくる人生、どっちもゴミっちゃあゴミよね。)


 


おじいちゃんはどんな気分?

 

失うものも得るものもまだまだ山ほどあるのよきっと。

 

全てを帳消しにしてもなぜかおつりがくるのよきっと。

 

とびっきりなやつ。

 

明日は病院兼ボランチア。

 

いつも通りの順序で準備をしてさっさと寝てしまうのがベスト。

 

なんて言葉には死ぬほど違和感がある。

 

無意識過剰・簡単に語るな。

 

自意識過剰・複雑に喋るな。

 

嘘よ嘘♪

 

ムク!!

 

ムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムクムク!!

 

みなさま、本能のままに、揺らぎながら生きていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2005/12/26 01:36

 

 

澄み切った心情でもってしがらみを歩き切ってしまいたい。

 

「のに」がないと締まらない感じを完璧に払拭して。

 

しがらみはしがらみのまま。

 

希望はあらゆる絶望の中。

 

いのちは朽ち果てた死体の中に。

 

ならば、安定はあらゆる浮き沈みの終着点?

 

あるいは。

 

国道沿いに「無縁仏の墓地」があるのを見つけた。

 

「排ガスまみれ」。

 

「住宅に囲まれてる」。

 

「宗教」。

 

そんなことはどうだっていい。

 

本当にどうだっていい。

 

(「観念論」だとか人情だとか、下らない人たちの下らない人たちによる下らない人たちのためのイチャモンには本当にうんざりだ。)

 

これはこれで「愛」なんだと。

 

完璧に完璧な「愛」なんだと。

 

 


瓦礫の記憶を忘れずに。


死体のリアリティが刻まれている。

 

そのままで。

 

際限なく続く変質に逆らわずに。

 

そのままで。

 

無縁仏になったって構わない。

 

だって、なにがどうなったとしても、どれだけ時間が経ったとしても、僕には僕がいる。

 

頼りなくて心強い。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とろけそうなムク.jpg

 

  2005/12/28 02:45

 

 

"I wish I was bullet proof."

 

ラジオ頭の曲の歌詞にそういえばそんな文言がありましたね。

 

あれ良い曲だよなあ。

 

サビのギターの綺麗なこと。

 

とろけそうなムク。

 

家で過ごすようになって初めて知る「家猫」としてのムクの行動(習性)。

 

例えば、↑みたいにカーペットの特定の場所を好んで、とろけてバターになっちゃいそうなくらいに気持ちよさそうに眠るとか。

 

はたまた、布団で眠るときには前足で布団をしばらくぐいぐい、それこそ布団を整えるように押し続けるとか。

 

下痢も大分治まってきて、時々走ったりするようになってきました。

 

今日はなんだかとても機嫌が良さそうで、いつもよりかなり走り回ってました。

 

お前はうちの猫だよ。

 

死ぬまでうちの猫だよ。

 

死んでもうちの猫だよ。

 

頭はまだ薄くないけれど、過去の記憶がとにかく薄い。

 

しでかしてしまったことや取り返しのつかないことはしょっちゅう4つ打ちに合わせるように頭の中でフラッシュバックしてくるけれど。

 

それ以外のことは

 

本当に

 

本当に

 

薄れてる。

 

嬉しかったこと

 

楽しかったこと

 

それらは本当に

 

他人の記憶を

 

無理矢理埋め込まれたよう。

 



花びらを燃やして花火を作ろう。

 

時には積極的に生物を殺してしまおう。

 

それから、自己嫌悪に苛まれればいい。

 

どうせ僕もあなたもいつかは死ぬんだから。




「火の鳥」を殺して。

 

それで、終わりにしよう。

 

そこがスタート地点だと思うよ僕は。

 

デタラメだけどね。

 

だって、これはただのゲームだから。

 

血まみれの死体も物質なんだからね。

 

そこにいのちを感じる僕だってそうなんだし。

 

終わりが見つからない。

 

でもまあ、そんなものいらねえな。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/01/02 00:18

 

 

いろいろなかたちがあり、いろいろないのちがあり。

 

歴然たる限界の向こう側には案外完璧な調和があったりするのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20060104.jpg

 

  2006/01/04 02:49

 

 

酒がうめえよおおおおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!!!!!!!ムク愛してるよおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/01/05 03:49

 

 

時間が解決する問題と、より複雑にしてしまう問題と。

 

時間が薄れさせる感情と、濃くさせる感情と。

 

 

 

悪意や敵意や憎悪や殺意や諦念やらの広大な“海”。

 

そこに浮かぶ、執着の“小舟”。


その小舟に乗ってしまったとして。


そのまま、ずっとずっと時間が過ぎていってしまったとしたら。


そのとき、「執着(の“小舟”)」はどうなるのかしら。

 

跡形もなくなっているのか。

 

はたまた、より強靱になっているのか。

 



 

突然ですけど、来週実家に「帰る」ことにしたっぽいです。

 

(一応そう決めはしたんだけど全然実感が伴っていない。) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/01/18 02:15

 

 

こないだ祖父のお見舞いと住民票を移すためにかなりの強行スケジュールで帰省したんですけど、「お見舞い」の目的は、多分そう遠くないうちに最期を迎える祖父の「生きている姿」をできる限り記録しておくためで。

 

病室で2人きりになったときに、本当は病院でそんなことしちゃいけないのはわかってるんだけど、祖父の写真をたくさん撮りました。

 

1年前はなんとか筆談はできて、「大丈夫?」って言ったら首を横に振りながら「ダメだ」って形に口を動かしていた「おじいちゃん」。

 

僕を孫だと思い出してくれた後、「また会いに来るよ」って書いたら涙を浮かべてた「おじいちゃん」。

 

人工呼吸器がつけられて、筆談どころか意識があるのかないのかもよく分からない状態になってた。

 

文字通りの「生ける屍」。

 

父方の祖父は生まれる前には死んでいた僕にとって、たった一人の「おじいちゃん」。

 

なのに、思ってた通りではあったんだけど、それでもやっぱり、そんな祖父の姿を見ても涙が出ないどころか悲しさや寂しさのような感情の欠片さえ湧いてこない自分を憎らしいとさえ思えない自分が嫌で嫌でしょうがなかった。

 

それでもちゃんと記録は残しておかなきゃと思って、布団をまくったら、全体的に鬱血して濃い赤紫色になってるガリガリの腕が目に入って、びくっとした。

 

思わず自分の腕と比較して、それも写真に撮りました。

 

この、骨と皮だけになってしまったような身体に、一体何が起こって、一体何が起きてるんだろう。

 

顔を触ってみたら、明らかに体温も低く。

 

そう遠くないうちに喪服を買わなきゃいけないな。

 

葬儀の時には、10年以上会っていない親戚たちや13年以上顔も合わせていない兄と同じ空間に居なきゃいけない。

 

そんなことばかりが頭に浮かぶ。

 

自分の中で、祖父の「いのち」はどう位置づけられてるのか。

 

嫌になる。

 

本当に嫌になるよ。

 

「おじいちゃん」、本当にごめん。

 




機械のように、決められた役割だけを無感情にこなして生きて死んでいけたらいい。

 

そう割り切ることができたら。

 

そしたら、バイトだって人生だってなんだって。

 

もちろん、たまには「歓び」みたいなものがあるに越したことはない。


それでも。




 

 

大切な(はずの)人が死んでも、大切な人を置き去りにしなきゃいけないことになっても、僕は決して最低のところまでは腐っちゃいけない。

 

 



機械だとかなんだとかはやっぱりどうでもいいような気にもなってきた。


とにかくやるべきことを、「それしかないこと」をやらなきゃな。

 

その結果早死にすることになってしまったとしても長生きすることになってしまったとしても。

 

どうせ、他に選択肢はないんだから。

 

 


 

温かい平凡な家庭を築きたい。

 

全てを帳消しにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/1/23 02:46

 

 

「お兄ちゃん」だったか「兄ちゃん」だったか。

 

どっちで呼んでたのかさえもう忘れた。

 

「兄」という続柄の他人。


ムクは前の家でなんて呼ばれてたんだろう。

 

ムクを捨てたやつはどんな人間なんだろう。

 

ムクが前の家で呼ばれていた名前でムクを呼んでみたら反応するのか。

 

「ムク」と僕が名付けた他猫。

 

「同居人」という関係の他人。

 

「無駄」という概念は人間以外にはない。

 

(「概念」という概念ももちろん人間以外にはないけど。)

 

(とかなんとかいちいち考えてゴニョゴニョするのも人間だけだけど。)

 

「ムク」を見ているとつくづくそんなことを思う。

 

「時間の無駄」。

 

「考えるだけ無駄。」

 

つくづく、人間はなんて下らない生き物だろうと。

 

なのに、「考えるだけ無駄。」と無理矢理にでも思わずには生きていくことさえ困難で。




"Living is easy with eyes closed." 



 

勝手なのは嫌ってくらいに分かってるけど、それでも見捨てられた気分になったよ。

 

目が潤んじゃったよ。

 

でも、人に泣き顔を見られるのは怖い。

 

怖くて怖くてたまらない。

 

だから煙草に逃げた。



 

詩人だった哀れな吸血鬼が行方不明になる直前に残した詩。

 

その詩を残して行方をくらませたあまりにも哀れな吸血鬼。

 

どんなに残忍な殺人鬼でも。

 

僕は心の底から同情してる。

 

それがたとえ物語の中の「登場人物」であろうとも。


 


 

言われたとおり、今年中にはムクと一緒にここを出て行くよ。

 

何が何でも、どんな手段を使ってでも出て行くよ。

 

それがせめてもの恩返しになる気がしてる。

 

(浅ましいから、もちろんそれが自分のためでもあることくらい分かってる。) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  2006/01/25 02:34

 

 

実家の鳥が死にました。

 

その報告のメールが今朝母親から送られてきました。  

 

コザクラインコという鳥で、8年くらい生きたんだけど、今日死にました。

 

 

 

ものごころついたときからうちにはいつでも鳥がいて。

 

この子は、そんな、親が飼い始めた鳥の中で、以前日記で書いたようないろんな事情があって、僕はどうしてもそれまでの鳥と比べたら全然可愛がってやったりできなかった鳥。

 

だから、今までのどの鳥よりも(自分を含めた)うちの人間には可愛がられ度が少なかった鳥。

 

なのに、皮肉なことに今までのどの鳥よりも長生きした鳥。

 

8年間も生きた鳥。

 

死んだ。

 

どうしても実感が湧いてくれないけれど、死んだ。

 

 

 

写真に映ってるのはつい2週間前の姿です。

 

こないだの帰省の際になんとなく撮ったものです。

 

 

 

1年前とかそれ以前に実家に帰ったときには完全に僕のことを忘れていて、例えば指を鳥籠に近づけたら思いっきり攻撃してきてたんだけど、(まずありえんけど)僕のことを思い出したのか、(これはもっとありえんけど)実家に住んでる父親か兄と間違えたのか、なぜか今回の帰省の際にはとてもなついてきて。

 

僕が水を替えるとなぜか決まって水浴びをする習性もそのままで。

 

 

 

ほんの2週間前、あんなに元気だったのに。

 

ほんの2週間前、あんなに寂しそうに鳴いてたのに。

 

ほんの2週間前の写真なのに。

 

ろくに実感も湧かないのに。

 

 

 

死体の写真を送ってもらおうか迷ったけど、(両親がますます心に負担抱えることになるかもしれないので)やめた。

 

 

実家に住んでた時代、何羽ものコザクラインコや雀の死体を見てきた。

 

多分そういう感じなんだろう。

 

多分実家の庭に埋められるんだろう。

 

そして、腐って、骨になって、土に還ってゆくんだろう。

 

 

 

祖父の容態が思わしくないから礼服を準備しておいて、というメールも来た。

 

 

 

祖父の死体を見たら、祖父の死体に触れたら、少しは実感が湧くのかな。

 

祖父の死体を見たら、祖父の死体に触れたら、僕の中に「おじいちゃん」は帰ってくるのかな。

 

 

 

あらゆる場面で邪魔をしやがる隙間が至るところにあって。

 

いつの間にか、埋め切れないほどに転移してた。

 

 

 

誰の死も、なにものの死も、僕は見たくない。

 

見なきゃいけないとしても、見たくない。 

 

そして、今後どれだけ見ることになってしまうとしても、どんな手段を使ってでも、(今はまだ)「死」の側に引き寄せられちゃいけない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (2006/2/5 15:56)

 

 

(おじいちゃんが死んだ。今朝死んだ。この世から。昨日喪服を買ったのに、まさか突然明日着ることになるなんて少しも考えてなかった。僕には祖父はいてもおじいちゃんはいないと思ってた。痩せこけて意識もなくて病院の機械や病院の人たちや金で命だけ無理矢理長らえさせられている姿を見ても何も思わなかった。何の感情も湧かなかった。現在の僕の中にはもうおじいちゃんは完璧に存在してないんだと思った。祖父しか「大好きだったはずのおじいちゃん」しか存在していないんだと思った。そう思ってた。突然母親から「おじいちゃんが亡くなりました」ってメールが来て、わけのわからない感情が押し寄せてきて、こらえきれなくなって、涙が止まらなくなった。奥の奥の、何をどうやったって表には出せなかった部分に、おじいちゃんがいたことが今さらになって。祖父が死んで、おじいちゃんも「おじいちゃん」も、僕の中のおじいちゃんも「おじいちゃん」も、みんな死んだ。鳥。おじいちゃん。死に至らなきゃこんなことにも気づけない。「罪」なんて腐った言葉じゃ何にも届かない。もし誰に何を言われたとしても、もし誰かが何かを言ってくれたとしても、今は何をどうやったって自分が救いようのない程無価値な存在だとしか思えない。もちろん救われるべきでもない。ごめんなさい。もう一度生きてるおじいちゃんに会いたい。もう手遅れなのに。本当にごめんなさい。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/10 02:35

 

 

通夜・告別式・収骨等を終えて名古屋に帰ってきました。

 

幸いというか何というか、日曜日(2/5)の、知らせを聞いた直後がピークだったようで、その日のうちに実家に戻ったんですけど、その後はまだ気分もましになりまして(ろくに寝てないのもあっていつもより多めに種々のクスリを飲んで寝たけど)。

 

 

 

通夜の日は大雪でした。

 

月並みだけど、棺桶の中のおじいちゃんは、入院中なんかとは比べものにならないくらいに楽になったような表情をしてた。

 

白く塗られてて。

 

13年振りくらいに見た兄は、自分より背も低くて、顔も自分より年下に見えて、全然自分の兄だとは思えなかった。

 

半数くらいは顔も名前も知らない親族。

 

知ってる親族も、顔を合わせるのは10年以上振りで、みんな10年以上の歳を重ねた顔をしてた。

 

話の内容や居る場所から「ああ、あれはあの従姉妹か」とか推測してた。

 

でも、名前はほとんど分からない。

 

 

 

通夜の後の親族だけの会席で、ある程度限られた親族しかいないはずなのに、頻繁に談笑が聞こえた。

 

喪主の伯父が泣きながら挨拶した直後なのに。

 

なんでお前らじゃなくておじいちゃんが死ぬんだと思った。

 

親や兄やその他の目は全くといっていいほど気にならなくて、日本酒を1合飲んで、食事会場の外に煙草を吸いに行った。

 

 

 

告別式の日は晴れでした。

 

車の中で妹がかけてたCDが耳に障って、外ばっかり見てた。

 

杖をついたり車椅子を押してもらったりしなきゃ移動できなくなってたおばあちゃんが、棺の中のおじいちゃんの顔の近くで、何か話しながらずっと泣いてた。

 

通夜には間に合わずなんとか告別式には参列できた妹を含めても、結局自分を含めた孫8人のうち5人しか来なかった。

 

棺を持つのに5人じゃ足りなくて、伯母の夫が代わりに6人目に入ってた。

 

火葬場に向かう、親族しかいないバスの中では、また談笑が頻繁に聞こえた。

 

手に持ってた数珠を弾き飛ばしたり投げつけたくなるくらい怒りやら虚しさやらに襲われた。

 

市営の火葬場だからなのか、何の合図も無しに気づいたら火葬が始まってて、すぐにまたバスに乗せられた。

 

また親族だけの会席。

 

喪主の伯父が挨拶している途中、いきなりどっかのクソジジイが立ち上がって、「灰皿はないのか?」といいながら歩き出した。

 

殺したくなった。

 

「収骨に行かれる方は20分後にバスに乗ってください」と言われたので、ご飯もろくに食べずに、日本酒を2合飲んでビールを1~2杯飲んだ。

 

収骨には絶対に行きたいと思ってた。

 

孫は、なぜか知らないけど行くことにしたらしい兄と自分の2人。

 

あと、母親や伯父や伯母たち、それに顔も名前も知らない親族を含めて、計8人。

 

その顔も名前も知らない親族が、聞き間違いであって欲しいんだけど、でも確かに「孫は来んでもええわ」と笑いながら呟いてるのが聞こえた。

 

なんでおじいちゃんの代わりにお前が死なないんだと思った。

 

余計な疲れや酒にやられて、また外ばっかり見てた。

 

バスの中でいくらか母親と話をした。

 

これでおばあちゃん一人になった家は、「おばあちゃんの後」はどうするのか聞いたら、一番近い自分が継げっていう話になったりもしてるって言って、その後笑いながら冗談半分で「あんたも一緒に来る?」と言われた。

 

少し笑って、すっきりした気持ちでそうできるものならそうしたいよと心の底から思って、少し泣きそうになった。

 

まだ熱い灰の中に、バラバラになったたくさんのおじいちゃんの骨。

 

1年前は何とか筆談できたおじいちゃん。

 

小さい頃、一緒に川で魚を捕ったりしたおじいちゃん。

 

筆談してて僕のことを思い出してくれたときも、自分の手に何度も「川」「魚」って書いてた。

 

そんな面影なんかもちろんこれっぽっちも無い。

 

ついさっきまであった鼻や目や口や耳も何も無い。

 

元は花や皮膚や目や口や耳や鼻や内臓なんかだったはずのたくさんの灰と、焼かれて、箸で簡単に崩れてしまう程脆くなったたくさんの骨だけ。

 

大腿骨らしき骨だけが丸々綺麗に残ってた。

 

割れないように丁寧に骨壺まで持っていったら、当然だけど係の人に砕かれた。

 

大きめの骨を全部入れ終わってから、喪主の伯父が喉仏の骨を入れて、その上にまた一人ずつおじいちゃんの頭の骨を被せていった。

 

自分だけじゃなくて8人中のほぼ全員が収骨は初めてだったらしくて、火葬場からの帰りのバスの中で、母親が「まあこういうのも経験じゃなあ」と呟いてた。

 

そうだなと素直に思った。

 

 

 

何度も、自分はおじいちゃん(とおばあちゃん)のこと、全然知らないし、知らなかったんだなと思った。

 

戦争の関係で、おじいちゃんもおばあちゃんも実は再婚だったって初めて知った。

 

母親や伯父や伯母には、父親の違う兄姉が一人いるってことも初めて知った。

 

おばあちゃんが2つ名前を持ってるのは多分それが理由だってことも。

 

つくづく自分は何も知らないと思った。

 

自分にも、顔も名前も知らない従姉妹か従兄弟が2人くらいいることを思いだした。

 

酒と血の中で孤独死した伯父の子どもたち。

 

血の繋がっている、完璧な他人。

 

親族が皆遠くに住んでて七日後にまた集まるのは難しいということもあって、初七日のためにおじいちゃんとおばあちゃんの家に。

 

10年振りに来たおじいちゃんとおばあちゃんの家は、驚くほど小さく感じた。

 

辺りの風景も。

 

とにかく小さかった。

 

自分の中に微かに残っている「故郷」の、縮図のような景色。

 

自分は本当に歳を取ったんだなと思った。

 

大好きだった大きな井戸は、潰されて、畑になってた。

 

また、知らない親族たち。

 

無言のおばあちゃん。

 

 

 

 

実家に戻った後、12時間近く眠りました。

 

 

 

 

誰かが死ぬために生きる人たちがいて、誰かの人生を左右するために死ぬ人たちがいる。

 

多分、どんな人間でも、それぞれがそれぞれの「役割」を持っていると同時に、その二つの「役割」を持っている。

 

月並みでもなんでもいい。

 

それでいい。

 

もう、それでいい。

 

 

 

 

そんな結論に達した数日間でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/12 05:42

 

 

お墓。

 

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この下に8年以上生きた実家の鳥が。

 

まあ、立派な墓とはとても言えないけれど、無いよりは全然ましだよなあ。

 

(僕は、自分の墓はいらないけど、自分以外の人たちには墓があって欲しいと思う自己中なのです。)

 

どれくらい朽ち果てたかとか。

 

色々と思うことはあったけど、とりあえず手を合わせて「ほんとにごめんな」と言ってきました。

 

 

 

呆けてます。

 

いつも以上に何もしてません。

 

いつも以上にひたすら眠っては起きての繰り返し。

 

自立支援制度(前公費負担制度)の再手続き(ファッキン)とかオーディションとかなんだとか相変わらず色々とあるのだけれど。

 

バイト休みまくってる分稼がなきゃまずいのだけれども。

 

自分の中に妙な一段落感があるのか、とりあえず、呆けてます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/13 06:17

 

 

ムク大便中。

 

大便が香ってきました。

 

とりあえずムクの下痢はほぼ完全に治ったようなので一安心。

 

でも香ってきています。

 

処理します。

 

 

 

処理しました。

 

大量でした。

 

おえ臭かった。

 

 

 

ムクが暴れ気味です。

 

寂しげな声で鳴きまくってます。

 

「ペット禁止」なのもあって全然遊んでやれんしなあ。

 

(もちろん、うちにすっかり馴染んだという証拠でもあるから嬉しい面もあるんですけど。)

 

すまんなあムク。

 

気づいたら、今月1日も働いておりません。

 

今月初労働だったはずの朝、バイト先に着いたところで訃報メールに気づいてその日からは急遽休み続けになっちゃったし。

 

というか、今は働きたくない。

 

これ以上は滅多にないだろうといえるほど良い環境のバイト先ではあるんだけれども、そういうことに関係なく、働きたくない。

 

がしかし、貯金が100万くらいあったらしばらく休んでだらだら過ごしたりしつつやるべきことをやりたいとか思うんだけど、ないもんはないしな。

 

今年中にここを出てくって決めてからそれなりに、なんとか引っ越しできるくらいは貯まってたんだけど、ここ数ヶ月のあれやこれでちょっと余裕が無くなってきたしなあ。

 

社会人は偉いよ本当に。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/15 00:21

 

 

「こうやって、また下らない言葉を書き連ねてゆくんだ」っていう言葉がまた頭をよぎった。

 

書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いても書いてもどれだけ書いてみても描けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/22 03:12

 

 

終わりの世界が。

 

「記憶の洪水」が。

 

スローモーションで。

 

昨日、またいつも聞こえてる「サーッ」って音が突然、しばらくの間止んだ。

 

山を車で下ってる途中、気圧の変化で耳が変になるあの感じから不快さとか耳が遠くなる感じとかを取り除いた感じ。

 

ああ、また痛くない耳鳴りが始まると思ったら思った通り。

 

「僕」という存在。

 

同居人。

 

ムク。

 

おじいちゃん。

 

おばあちゃん。

 

(ややあって僕にそれを一番期待してたおじいちゃんにもおばあちゃんにも、できれば曾孫を見せてあげたかった。)

 

ごめん。

 

本当にごめん。

 

ごめんなさい。

 

許してもらえないのはわかってる。

 

(というより、自分で絶対に許せない。)

 

だから、本当に、本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/2/26 09:48

 

 

あの場所まで行けるなら。

 

あの場所に帰れるなら。

 

オーヴァードーズだって何だって。

 

いのちがあるのは心の中だよ。

 

忘れない。

 

どうしても忘れられない。

 

記憶を剥ぎ取って。

 

楽しかった時間が、幸福だった時間が、絶望的な終わりを迎えた場合、より巨大な絶望感を伴ってしか思い出せなくなるのは何でなんだろう。

 

そういう時間があったということを支えにして真っ直ぐに生きてゆけるほどの強さだか弱さだかをもつことのできている人間は一体どれくらいいるんだろう。

 

例えば、それらを現実に、「芸術」に、昇華させることができたとして、それが一体何になるんだろう。

 

誰かの気休め?

 

それならそこに価値はあるといえるのかなあ?

 

何もわからないところから再スタートを切るのはもう。

 

でも、多分役割はいつでもそこに。

 

 

 

僕はずっと中途半端だから、その都度その都度言葉に発してみないとやってられないんだよ。

 

ごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/3/4 03:58

 

 

ここの「日記」は99%本当の日記です。

 

ふと思ったこと、実際に考えたりしたこと、実際に起こったことをできる限りそのまま書き連ねているだけ。

 

(もちろん不特定多数の人たちに読まれることは理解した上で、ですが。)

 

さっきタバコ吸っててふと思ったので書いておきました。

 

 

 

夢はいつだって「温かい家庭を築くこと」です。

 

「家庭」には「家族」も含まれます。

 

実家に帰って、普通に就職して、普通に家族仲良く暮らして、普通に結婚して。

 

レディオヘッドの「フィッター・ハッピアー」。

 

あの曲の中で「豚だ」とかなんとか言われてるような生活。

 

そんな生活を普通に送れることがいつだって夢で。

 

 

 

 

とにかく、最近は始終「今後の身の振り方」についてばかり考えています。

 

不眠がさらに酷いことになってます。

 

この2週間だけで、全く眠れずに3~4日ほど急遽バイトを休みました。

 

久々に結構よく眠れてバイトに出れた先日、午後の仕事中、(変な予感がしてたたから)リタリンを多めに飲んだにもかかわらず、ずっと立ちっぱなしで結構動きっぱなしの労働内容にもかかわらず、今度は逆に倒れそうになるほどの眠気が。

 

リタリンを飲んだ上での労働中にあの眠気に襲われることは今まで一度もなかったのに。

 

そもそも、午後にあの眠気に襲われることは一度もなかったのに。

 

 

 

 

数時間後には病院です。

 

できる限り正確に現在の「病状」を伝えたとして、あのヘボ医者はどんな診断書を書いてくれるんだろう。

 

その結果、僕は何級の「障害者手帳」をもらえるんだろう。

 

とりあえずまずはそこがはっきりしなきゃ今後が何ともならない。

 

なったとしても、・・・いかん、やっぱ考えると沈んでいくだけだ。

 

どのみち夏までにはここを出なきゃ行けない。

 

同居人との話し合いの結果、そういうことになってしまった。 

 

だから、お金を貯めなきゃ行けない。

 

でも、種々の理由(根源は9割方酷不眠)でバイトに出るのがきつい。

 

僕の役割。

 

僕の所為か、「神」の所為か。

 

・・・なんてこと、考えたって何にもならない。

 

でも嫌でも脳がそう働く。

 

 

 

夏までにはムクのことに関しても歌録りに関しても問題のないところに引っ越せる状況に。

 

結局それしか今のところはない。

 

僕の所為なのか、「運命」の所為なのか。

 

正直何もわからない。

 

何もできてない。

 

そんなここ数日です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヌクヌクムク.jpg 

 

  2006/3/21 02:28

 

 

(いつでも道化で生きていて、いつでも道化の夢を見ている。)

 

(道化のまま生き続けられることを願っていて、道化のまま死ねることを願っている。)

 

 

 

諦めて、諦めて、朝を待ってみた。

 

灯り消して、かき消して、ダメになってみた。

 

 

 

泡を、「君」を、飲み干した。

 

毒を、盛って、生き返った。

 

 

 

・・・そっか。

 

「君」は、いつでも、そこにいたんだった。

 

・・・そうだ。

 

「君」は、いつでも、僕の希望なんだった。

 

 

 

諦めはそのままで。

 

「君」は希望のままで。

 

全てが浄化されてゆく。

 

ゆく。

 

ゆく。

 

ゆく。

 

ムク♪ ゆく。

 

 

(日課としての生。全ては僕らの所為。僕らは不自然の精。)

 

(一人で生きるための練習を。)

 

(生き続けるための練習を。)

 

 

 

 

 

ムク♪ ゆく。という歌詞を書いてみたいがために作ってみたこの曲のために昨日今日と本当に久々にアコギを少し弾いたんですけど、ほんと1分と経たないうちに指が痛くなる・・・。

 

もちろん技術もさらに低下してる・・・。

 

そしてギターを弾いたり歌ったりしてると案の定ムクが嫌がる・・・。

 

 

 

ところで、ここ数日の酒のつまみは黒かりんとうでした。

 

ムクのウンコ略してムコにあまりにもそっくりなフォルムはさておき、これがまた美味しくて美味しくて。

 

色々とあって最近は気疲れしかしないバイトの終了後の憂鬱な気分を少しは改善してくれる感じで。

 

(僕にとっては、少なくともパキシルやテトラミドよりは確実にこっちの方が効きます。) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  2006/3/22 23:09

 

 

ここのところ、いのちがなくなることへのリアリティが凄まじい。

 

 

 

明らかに良くない兆候が。

 

「弱音を素直に吐ける相手」とかなんとかいう聞き飽きた言葉。

 

"No one else could heal my pain."

 

その前提となる相手。

 

メロディーを追いかけたり。

 

コードを積み上げてみたり。

 

感動は一瞬で。

 

核心は隠したまま。

 

誰も。

 

誰にも。

 

結局「寂しい」とか「辛い」とか「悲しい」とかそういう言葉以外にないよなあといつも思う。

 

おじいちゃんに会いたい。

 

会いに行きたいとさえ本気で思う部分があり。

 

テレビで感動シーンが。

 

寂しさだけが異常に浮き上がってきて、厳しすぎると思った。

 

そこら中に行きたいな。

 

どこでもいいからそこら中。

 

温泉とかさあ。

 

"home"どころか"house"までなくしかねないような感覚。

 

バカラックにも会いたい。

 

睡眠が地獄。

 

他に表現しようがないくらいに地獄な感じ。

 

なんなんだろう。

 

何が起きてるのか自分でさっぱり解らない。

 

「地位」とか「身分」とか「肩書き」とか、そういうものごとのくだらなさと重大さが同時に目に見えてる。

 

ちょっと遠すぎるな。

 

まだまだ遠くなんだなと。

 

視界のほんの隅にさえ映らない。

 

変化というものがこんなに心を覆い尽くすような化け物じみたものだったなんて知らなかった。

 

知らなかった。

 

そしてたぶん、知らないことはまだたくさんある。

 

今はそのことに対して怖さしかない。

 

そういう感覚は気づいたら移ろっているものだけど、今回のは確実に特別製で。

 

間違えた。

 

間違えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジョークを書く余裕はいったいなんなのやら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/2 06:17

 

 

「金払ってでも出てってほしい。」

 

改めてそう言われた。

 

 

 

 

しんどさとか、そういうものを秤に掛けることなんかできないってことは良く分かってる。

 

でも、7年間一緒にいても、結局何も理解してもらえてなかったこと。

 

おじいちゃんのこと、家のこと、効かないクスリのこと、酷い夢のこと、動かない身体のこと、ムクのこと、etcetc...。

 

状況が悪化すればするほど、離れていかれるのは、やっぱり、厳しい。

 

本当に悲しい。

 

救いなんて他者に求めるものじゃないことも解ってる。

 

でも、寂しい。

 

同じくらい、申し訳ないって、本当に心の底から思ってる。

 

寂しいとか悲しいとか思っちゃって本当にごめん。

 

 

 

もう、話せなくなっちゃったねえ。

 

追い打ちをかけちゃったんだなあ。

 

でも、確認しておかなきゃ、本当に僕は無理だった。


 

 

 

最近、高校時代以来初めて涙腺が緩くなってるんです。

 

なんとなく久々に読み返した「うしおととら」の、「鎌鼬編」。

 

うしおが、十郎に対して、

 

 

「わるかったなあつらかったろうなあ。」

 

 

って言いながらぽろぽろと涙を流すシーン。

 

(その前のページの最後のコマ。)

 

あまりにも綺麗なうしおの目。

 

そして、その後、十郎が自ら獣の槍に突っ込んで。

 

 

「オマエが

泣いた時から

オレはもう

どうでもよく

なっちまってたよ。

そしてわかったよ。」

 

「ああ、オレが

一番聞きたかった

のは、この一言

だったんだってな。」

 

 

 

どんなに涙腺が緩くなってもいつも結局泣くまでには至らないんだけど、少し泣きました。

 

もう、フラッシュバックがどうしようもなくて。

 

 

 

もう、どうしようもなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/8 04:05

 

 

月に祈るのよ星に願うのよ雨に歌うのよ雲と踊るのよ。

 

何でってあーたねえ昔からそうゆうことはそうするものでしかないわけでんなこたあたしゃ知らねえよでも俺は知ってるぜしかし僕は知らんしそういうのを伝統で括っちゃったらまずいんでないかいとか思わないでもないんだけれども知っての通り夜というのはどこまでだって広がっているような感じがしたりいつも通りのはずの不安やら何やらが異様なまでに増幅されてしまうような錯覚を感じたりするものでそういうときはとりあえずなんとなくでもなんでも光に虫が集まるみたくそこで光っているものにはとにかく何かを願ったりしてしまうとかあるいはそういうものがない場合はタリラリラーンと歌ったり踊ったりして何かごまかそうと必死になってしまったりとかそういうことなのかねえなんてことを思ったりもするわけですけれどもがしかしそういうことが結果実を結んだことは少なくとも自分は一度たりともねえものですからしてやっぱりいつも通りアレしてそんで雨とか雲とか関係なしにタリラリラーンと踊りながら歌ったりしてアレにやられ始めるのを待つのよでもさあ最近はきゃつが酷くってねえ正味な話が疲れたのよ色々とっていってもとりあえずその色々は一つにまとめることも出来るんだけれどもそんな小細工でごまかそうと頑張ってみてる最中になんかムクが自分でコントロールして下痢を撒き散らしたりしてねえ本当にちょっと参っちゃったのよなんてそういう心身ともにどうしようもない時に何かに祈ったり願ったりする行為を止める気はさらさらないけれども少なくとも自分には効果なかったわよもちろん人それぞれだと思いますがとりあえずイースターを喜んでみたり自殺を禁じてみたり仏典熟読してみたり脱構築してみたりとかくらいならやるからお願いだから眠らせてくれよ許してくれよアレまで否定しないでくれよお願いだからこんちきしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーターの前のムク3.jpg

 

  2006/4/10 02:14

 

 

最近、ムクが、僕といるときにはなぜか頻繁に下痢を繰り返す。

 

明らかにストレスからくる下痢。

 

ギター弾いたから、それだけなら良いけど、それだけじゃないみたいだから、正直疲れに拍車がかかる。

 

「責任」からいったら僕がずっとムクと暮らし続けるべきなのは解ってるんだけど、「僕とムクのため」を考えると、わけがわからなくなります。

 

 

 

ムクの下痢に負けるか。

 

ムク、ストレスばかりかけてごめんよ。

 

でもこれやってなきゃ自分がおかしくなるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/12 19:50

 

 

かつてないほどに考え疲れた模様で、珍しく思考がしばらく停止されまして、バイトの休憩中、数ヶ月ぶりにお昼寝ができたのです。

 

これ以上底が掘り下げられることはないはずと。

 

そんな気がするような、ただ無理矢理そう思おうとしているだけのような、よくわからない、とにかく世知辛い感じの今日この頃です。

 

「余生」という言葉は、なんで基本的にお年寄りに関連したかたちでしか使用されないんでしょうねえ。

 

生まれてから死ぬまでが余生じゃないですか。

 

違うんかいな。

 

まあどっちでもいいことだけど。

 

せめてプラマイゼロ周辺で終わりたいものです。

 

もちろんできるだけプラス希望ですけど。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/14 04:31

 

 

バイト関係のサイトを観ては沈んで、部屋探し関係のサイト(「ペット可」が条件)を観ては沈んで、時間が戻ればいいのにななんてありきたりなことしか頭に浮かばなくなっては沈んで。

 

 

 

今日は、バンドをやっているある先輩と数年ぶりに遊びます。

 

 

 

「今年こそは新年会やろう!」 「やりましょう!」

 

「今年こそは忘年会やろう!」 「やりましょう!」

 

「今年こそは忘年会兼新年会やろう!」 「絶対にやりましょう!」

 

 

 

そんなやりとりをしては音沙汰なし、そんなこんなを繰り返して早数年、結局新年会でも忘年会でも忘年会兼新年会でもなく、その先輩の結婚前祝い会(プラス、この数年のあいだにできた音源をお互いに聴かせ合う会)的なものになりそうで。

 

 

 

僕が現同居人と付き合いだしたのとその先輩が現婚約者と付き合いだしたのはほとんど同じ時期でありまして。

 

 

 

お互いの7年。

 

 

 

かたや、「ごめん、もうこんなぐちゃぐちゃな人と一緒にいるのは耐えられない、辛い」と言われる結末。

 

(決定的な引き金は、ムクと、おじいちゃんが死んで以降一層酷くなった不眠症のようで。)

 

かたや、結婚という、皮肉無しに素敵な人生。

 

 

 

ありきたりですが、人生とは何なのでしょう。

 

僕にはさっぱりわからないです。

 

とにかく、楽しく生きていられたらいいなと思ってるだけで。

 

だから、寂しい。

 

本当に寂しい。

 

きっと、若草ハルナよりも山田君よりも、ずっとずっと、寂しい。

 

僕がいなくなることが嬉しい、やっぱりそれが何よりも辛くて寂しい。

 

こんなんになっちゃってごめんね本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/21 01:55

 

 

「あなたにできること」が、「いなくなること」なのだとしたら。

 

「壊される」とは何か、とは常に考えてたけど、そこまでは考えてなかったな、多分。

 

『トーマの心臓』みたいな綺麗な感じならまだましなのだけれども。

 

 

 

ユリスモールへ 

      さいごに

 

 

これがぼくの愛

 

 

これがぼくの心臓の音

 

 

 

って。

 

 

 

まとまりがないから引用して終わってやるトーマ・ヴェルナーのこんちきしょう。

 

 

 

ぼくは ほぼ半年のあいだずっと考え続けていた

ぼくの生と死と それからひとりの友人について

 

 

ぼくは成熟しただけの子どもだ ということはじゅうぶんわかっているし

だから この少年の時としての愛が

性もなく正体もわからないなにか透明なものへ向かって

投げだされるのだということも知っている

 

 

これは単純なカケなぞじゃない

それから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない

彼がぼくを愛さねばならないのだ

どうしても

 

 

今 彼は死んでいるも同然だ

そして彼を生かすために

ぼくはぼくのからだが打ちくずれるのなんか なんとも思わない

 

 

人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死

 

 

それなら永遠に

ぼくには二度目の死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)

そうして

ぼくはずっと生きている

彼の目の上に

 

 

 

ついでなんでオスカーのセリフも。

 

 

 

ぼくは いささか くっちゃべりたい気分

しゃべらせといてくれないか

いあわせたのが 不運だと 思って 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/26 06:46

 

 

(ブログ中断)

 

ムクがまた下痢をしたので処理しました。

 

 

 

・・・で、その処理の後にややあってめちゃくちゃへこんだので、ここまで書いた内容を保存して、いったん終了しました。

 

 

 

なんか、ダメだ。

 

本当にダメだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/27 03:13

 

 

100年だろうと5年だろうと、「空白」は「空白」だと思った。

 

無駄な溜め息一つ。

 

それが長いやつであろうが短いやつであろうが、「溜め息」は「溜め息」で。

 

無駄な涙一粒。

 

無駄な言葉一つ。

 

それらにどれだけ重みがあったとしても、「無駄」なもんは「無駄」なんだと。

 

 

 

やりたいこと、山ほどあったんだけど、ムクの調子が最近おかしくて、さっきも吐いて(これで二日連続)、それの処理したりしてたら、もう何も出来ない時間になっちゃった。

 

 

 

いろいろなものごとがこわれてゆく。

 

そんな錯覚みたいなものが。

 

 

 

いろいろなこと、なんとかならないかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/4/29 03:21

 

 

祈りとか埃とか光とかおからとか祠とか蛍とか小樽とか終わりとか鉛とかとか稲荷とか鉛とか終わりとか小樽とか蛍とかおからとか光とか埃とか祈りとか怒りとか祈りとか埃とか光とかおからとか祠とか蛍とか小樽とか終わりとか鉛とかとか稲荷とか鉛とか終わりとか小樽とか蛍とかおからとか光とか埃とか祈りとか怒りとか祈りとかなんとかいう感じで韻を踏み続けてみたりしても何も見えてこないのは当然のことで、コピペを2回ほど使って遊んだなんてことは言わなきゃばれないし、つまり何が言いたいのかというと、言いたいことがあるとか言うべきことがあるとかそういう類の感情が押しつけがましくなく見えてくる文章なんかにたまに触れるともうどうしようもなくなる。

 

自分に繋がる全てのものを自分や自分以外の全てのものから全て削ぎ落としてやりたくなってくる。

 

これだから芸術というのは僕にとって非常に厄介なのであって、芸術なんか芸術もどきのがらくたや人間ごと消えてしまえばいいのにと本気で思う。

 

 

 

ムクが、自由に移動できないストレスもあってか鳴きまくったり下痢を頻繁に繰り返したりするたびにひどくストレスが溜まって、早く「ペット可」に引っ越さなきゃと思うんだけど、ここ数日どうにも調子がおかしくて、下痢どころか毎日嘔吐までしてて、で、たまにぐったりしたりして、昨日なんかは嘔吐しそうな感じを数分間繰り返した後床にへたり込んで、ゆっくりと目まで閉じていって、手も震えてという、どう見ても明らかに異常な状態になって、その様子が、昔、目の前で死んでいった鳥たちとそっくりで、どうにも頭の中でそれらが重なって、病院に連れて行かなきゃいけない、もしもムクが今ここでこのまま死んだらいったいどんな感情に襲われるんだろうとか、そんなことを思う一方で、もしも「ペット可」に引っ越した直後にムクが死んだら、自分は一体何のためにそこに引っ越すことになるんだろうとかそんな現実的なことまで頭の中に浮かんできて、とにかく時々撫でたりしながらしばらく様子を伺ってたら、5~10分くらいしたらいきなり何ごともなかったかのように毛繕いを始めて、その後普通に起きあがって歩き回り始めて、とりあえず安心した。

 

結局本当に何ごともなかったみたいにゲロは吐かなくなったし下痢もしなくなった。

 

一体何なんだろう。

 

一体何だったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/5/3 19:20

 

 

歌が録れやしねえのです。

 

歌を録り始めると、ムクがなぜかMTRの近くに来ちまうんです。

 

fbbd6da8_640.jpg

 

しかも睨みやがるんです。

 

録音の邪魔をするムク2.jpg

 

もちろん鳴きます。

 

わたくし一応コンデンサーマイクを所持しておりまして、んで、せっかくだしということで今日は久々にコンデンサーマイクを使って録音してみてたんですけど、もちろん鳴くんです。

 

結構良いマイクで結構感度もよろしいので、鳴き声もばっちり録音されるのです。

 

でかい声にびびって向こうに行ってくれる方がむしろ助かるんだけど、なんか寂しそうに周りをうろうろしてしかもにゃあにゃあ言われると、こりゃ困ったと。

 

それより何より、せっかく世はゴールデンウィークの真っ只中だというのに、お隣さんも下の階の人も、外出してないのです。

 

それに加えて、世はゴールデンウィークの真っ只中だからか、いつも以上に辺りが静かなのです。

 

こりゃあ腹から声出して歌ったりなんぞしたら近所に丸聞こえですよ。

 

せっかく昼には起きてたのにな。

 

ゴールデンウィークくらいどっか旅行行けよなあと勝手なこと思って過ごしているだけじゃああまりにももったいないので、なんとなく、過去一度だけ行ったことのあるライヴの模様を納めたヴィデオさんを引っ張り出して観てみたのです。

 

いやあ、酷いったらありゃしない。

 

もう5年近くも前の映像なんですけど、いやもう酷いったらありゃしない。

 

とりあえず、髭がない。

 

ムクもたぶん産まれてさえなかった頃。

 

ここに映っているのは、五つも年下の子。

 

自分で自分とは思えない自分。

 

でも何が変わったと言われたら、「病院通いになった」とか「毎晩泡盛飲むようになった」とか「曲がほとんど作れなくなった」とか、それくらいしかぱっとは浮かばない。

 

会話がしたい。

 

思わせぶりに「ある意味自分で思ってたとおりの人生にはなってるよ」とか言って反応を見てみたい。

 

というより、やっぱ会話がしたい。

 

 

 

今も、こうやってPCに向かってる自分の横に、ムクがじっとしてます。

 

時々こっちを観ては寂しそうに鳴いてます。

 

 

 

色々なことがあったなあと。

 

 

 

何もかもが変わったのかもなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒーターの前のムク2.jpg

 

  2006/5/8 00:01

 

 

空気の中を緊張が駆けめぐったのを確実に感じた。

 

で、それはやっぱり間違いじゃなかった。

 

涙みたいな直接的なものより重い感じがした。

 

全く正反対の緊張だった。

 

解ってはいたけど、直接的に感じたのは初めてだった。

 

涙が出ないのは、涙なんかじゃもう何も表現できないからなのかもしれないとも思ったり。

 

どちらが優れてるとかそんなくだらないことでもない。

 

とにかく、「初めて感じた」と感じたし、そう感じたのも初めてだった。

 

やっぱり、長い長い花火みたい。

 

弾ける感じも、消える感じも、焼き付いて離れない感じも。

 

違うのは、何一つ綺麗とは思えないところくらい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/5/13 02:32

 

 

ムクが突然左前足を引き摺り始めた。

 

暴れることもなくなって、大抵僕の布団の上で寝てる。

 

僕が布団で寝始めると、前までは足下とかあるいは別の場所で寝てたんだけど、ここ数日はずっと、僕が起きるまで、隣で身体を寄せてきたまま寝てる。

 

やっぱり、寿命なのかな。

 

それでも「夏までに引っ越し」という条件は絶対に譲れないみたいで、なんだか泣きそうになる。

 

マイブラの"sometimes"聴いてると一層泣きそうになる。

 

 

Close my eyes

Feel me now

I don't know how you could not love me now

 

 

Turn my head

Into sound

I don't know when I lay down on the ground

 

 

歌詞より、曲のあまりの美しさに、です。

 

 

 

 

 

おふよはいってねゆのよさ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/5/18 22:25

 

 

サイコロ振る→2が出る→2進む→「振り出しに戻る」→振り出しに戻る→サイコロ振る→2が出る→3進んでみる→「振り出しに戻る」→振り出しに戻る→神とサイコロ振る→「振り出し」が出る→神を振って蹴飛ばす→サイコロ振る→1が出る→1進む→「振り出しに戻る」→振り出しに戻る→汎神論者になる→サイコロ振る→サイコロ消える→サイコ論者になる→嘘→振り出しに戻る→

 

何かやっても気づいたら結局毎回また振り出しに戻ってる感じ。

 

とにかく何かやらなきゃと思い、とりあえずスーツ来て証明写真撮ってみたり。

 

「これで700円…」と思うと無性に切なくなる。

 

就職活動とかできる人たちのことを全く皮肉無しに凄すぎるとばかり思う今日この頃です。

 

あの人もあの人もあの人もあの人もあの人もあの人もみんなみんな手に職もってるんだよなあ。

 

なんで焦らなきゃいけないんだろ。

 

それでも焦らなきゃいけない状況みたいです。

 

2月頃までは、少なくとも金銭面に関しては予定通りだったのにな。 

 

ムクがまた下痢。

 

異常な腰痛も。

 

勘弁して下さい本当に。

 

視線が、ぼやけながらあらゆる方向に向かってるような感じです。

 

 

 

十年くらい経ってまだ生きてたら、あの頃はほんときつかったけどでもそれがあったからこそこうなったんだよなあとかポジチヴに思えたりもするのかもしれないと客観的に考える自分も死ぬほどうざったいとしか思えないのが現状で、とりあえず改めてわかるのは本当にしんどいときはどんな考えも気休めにもならないということで、そんなこと考えてる暇があったら何かをするべきなんだけど本当に何をすれば良いのか何をしていいのかわからなくて、なんてことを書いてるとムクがまたストレス一杯な感じで鳴き喚いて、もう、なんだろう、許してくださいとか思い始めてしまう。

 

長い一文を書いたせいで、そういえば保坂和志が新刊出してたなと。

 

昔から、文章をある程度以上自分で納得できるかたちに繋げてゆくことが、こう、パズルを解くみたいで面白くて、結果何故か一文が長くなることが多くて、大学時代には「一文が長すぎる、切れ」と教授に言われることが多々あったんですけどでもそんなダメ出し無視して色々とやってるときに保坂和志の文章を初めて読んで、語彙量や知識量や文章構成力の差はもちろんとてつもなく痛感しつつだけれどなんだか別に自分間違ってないんじゃないかと思ったこともあったなとか思ったこともあったなとか思ったこともあったなとか思ったこともあったななんてこれまた長い一文だな。

 

ちなみに僕は解けないパズルは面白くないです。

 

なので、基本的に何書いても消化不良です。

 

やっぱツケかと今思った。

 

非常に根本的なルールとかマナーとか、そういうものを守ってさえいれば別に少々何やろうが構わないということはわざわざ言葉にするまでもなく理解していることだけど、何やればいいのかこれほどわからなくなるとやっぱりこれもちっとも気休めにもならない。

 

今日は他に結論も何も出そうにないのでさっさと寝るしかなさそうだというどうしようもない結論だよ結局。

 

ある意味非常に日記らしい日記でげんなりです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下痢気味のムク1.jpg 

 

  2006/5/23 00:35

 

 

何をするにもムクの下痢のことが引っ掛かってます。

 

バイトから帰ってきたら部屋が下痢まみれ、というのが嫌でも頭に浮かぶ。

 

もちろん、大声にストレスが溜まって一層下痢が酷くなる、というのが怖くて歌も全く録れない。

 

引っ越すにしても、引っ越しの際のあれやこれのストレスで一層下痢やら何やらが酷くなるんじゃないか。

 

引っ越したとしても、そう遠くないうちに死んでしまうんじゃないか。

 

でももちろん、たとえどんな事情が有ろうとも引っ越さなきゃいけない。

 

というより、出て行かなきゃいけない。

 

 

 

「下痢くらいなんだよ」とか思われるかもしれないですけど、ムクは長毛だから、少しでも下痢が混じると毛にそれが付着して、歩き回る前に綺麗にしないと部屋中がとんでもないことになる。

 

今まで何回ラグやら座布団やらを洗いまくったか分かりません。

 

ので、ここ1週間くらいは、もうトイレットペーパーで拭くとかじゃ埒があかないので、下痢する度に風呂に連れて行ってます。

 

お湯で綺麗に流した後、タオルでできるだけ拭いて、それからドライヤーで長い時間かけて乾かす。

 

(同居人が、猫と同じタオルを使うのは嫌らしいので、昔実家から持ってきたタオルを使っては手洗いして干して、の毎日。)

 

もちろんムクは大声で鳴きながら逃げ回る。

 

「ペット不可」のコーポで。

 

それを追いかけながら必死に乾かす。

 

それを一日に数回。

 

いつトイレに行くか分からないから、なるべくムクを見てなきゃいけない。

 

もう、トイレでガサゴソしてる音が少しでもしたら目が覚めるようになりました。

 

もちろん下痢止めも効かない。

 

しかも、最近明らかに元気がない。

 

前は一日に何回か異様に元気になって走り回り始めることがよくあったんだけど、ここ数週間はそれも全くない。

 

ほとんどの時間、僕の近くで寝転んでる。

 

風呂で洗った後は、疲れとストレスのせいか、玄関脇でずっと寝転んでる。

 

もちろん今もです。

 

どこからか、時々血を流してる。

 

 

 

どう振り返っても、「ムクと暮らさなかったとしたら」という仮定は成り立たないので、誰のせいにも何のせいにもできない。

 

どれだけ考えても何をしても、今のところ解決策は一つも見つからない。

 

ムクの病院に自分の病院。

 

 

 

考えて考えて、どこにも行き着かなくて、物件見たりバイト情報見たり就職情報見たりしながら、ムクを見て。

 

 

 

明らかに、今の自分はムクのために生きてる。

 

 

 

どれだけクスリ飲んで酒飲んでも、一層熟睡できなくなってます。

 

 

 

もちろん、こんな風に、愚痴のようなものを書き連ねる自分も嫌です。

 

でも、本当にどうして良いか全く分からない。

 

 

 

誰にも伝わらないのはわかってるけど、せめて自分のためだけにでも記しておきたい。

 

 

 

出しっぱなしにしてあった、某中学で5年前教育実習をしたときの資料をなんとなく読み返しました。

 

(あの子たちももう今年で二十歳になるんだよな。)

 

思ってた以上に自分が「教師」をしていたことに、少なからずびっくりしました。

 

人間、追い込まれたらとりあえず結構やるもんなんだなと。

 

 

 

でも、あのときと今とでは「追い込まれ方」の質がおそろしく違う。

 

 

 

今、ムクは玄関マットの上で寝てて、同居人はソファで寝てる。

 

 

 

帰りたい。

 

正直、頭の中はそればかりです。

 

 

 

あのときやあのときに。

 

あの頃やあの頃に。

 

 

 

  2006/5/23 02:34

 

 

2~3時間しか経ってないのにムクがまた下痢をした…。

 

また洗って(中略)しました。

 

結構限界です。

 

でも限界超えなきゃ何ともならんから結構限界です。

 

とりあえず寝る。

 

全然しらふだけど、とりあえず音楽聴きながら意地で寝る。

 

そんで、起きたらムクの様子を伺いつつHD上の音源をコピペとかでいじくる。

 

おやすみなさい。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/5/26 01:28

 

 

あらゆる音にエコーをかけてみたい。

 

どんな感じになるのかな。

 

今、「Enter」を3回押して改行したけど、って書いてる間にもたくさんのキーを打ったけど、それら全ての音にエコーがかかるのよ。

 

外を走る車の音とか。

 

鼻をすする音とか。

 

溜め息とか。

 

裸足でペタペタ歩く音とか。

 

ダラダラと続く会話とか。

 

時計の秒針の動く音とか。

 

PCのファンの音とか。

 

炭酸のシュワシュワっていう音とか。

 

酒を注ぐ時のトクトクっていう音とか。

 

ヤニの弾ける音とか。

 

心細くて仕方ない時の心臓の音とか。

 

全てをトンネルの中に押し込めたような世界な感じになるのかな。

 

ただ鬱陶しいだけかな。

 

 

 

武器になる陽性の感情がやっぱり欲しいです。

 

最近、ふと気が付いたらほんの少し涙腺が緩んでたりします。

 

何気ない一瞬や、素晴らしい音楽聴いてる時や。

 

表面的な優しさを垣間見てしまった瞬間とか。

 

それをダイレクトに受けとめてしまった瞬間とか。

 

2ヶ月後。

 

どこに引っ越して、どんな気分でいるんだろうな。

 

そろそろ部屋を決めなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/5/27 01:54

 

 

「元気にやってるか?」とか、そういう温かいお言葉をメールなんかでもらったりすると、どうにも返信に困るのです。

 

 

さりげないけど重みのある言葉だよな参ったなと。

 

 

 

 

「あれからもう半年か」どころか、「あれからもう一週間か」と思ってしまうような感覚をもちあわせ始めてることに気づきました。

 

 

 

感傷的で胸に響く素晴らしすぎる言葉にひたすら飲み込まれてたい。

 

 

 

「神様はいると思ってた」という言葉に少しビクッとした。

 

 

 

やっぱり、今までいろいろなことをないがしろにし過ぎたんだろうなあと思った。

 

結局そこに辿り着く。

 

やっぱりツケか。

 

「やっぱり」が多すぎるな。

 

 

 

止められることは止めて、始められそうなことは始めなきゃと思う今日この頃です。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/6/2 00:59

 

 

一過性の気分と、永遠に続くんじゃないかと思ってしまうような気分と。

 

そんなところで困っちゃうときには、いつぞやの出来事でも思い出しましょう。

 

なんかあったっけな、と。

 

明日か明後日にはあれしようと決めておくのも良いもんです。

 

たまにはね。

 

はちきれそうなくらいに買い貯めちゃったのだからいいだろうと。

 

 

 

わからないことばかり。

 

だから面白かったりつまらなかったり嬉しかったりしんどかったり。

 

 

 

 

引っ越してまた一人になったら、ついでに短い一人旅でもしたいな。

 

ムクには悪いけど。 

 

iPod持って、バスか電車に揺られて。

 

温泉入って。

 

酒飲みまくって。

 

吐いちゃったら吐いちゃったでまた飲んで。 

 

 

 

一ヶ月経っただけで、何もかもが変わっちゃうんだねえ。

 

やっぱり寂しいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/6/6 00:47

 

 

広い広い、とにかく広い道があったとして。

 

車線のような区切りもなくて、向こう側も見えないほどの、最早「道」と呼ぶのも憚られるような広い広い道。

 

でも、「道」と呼ばれるからには、きっと何かしら道の要素があるんだろうという、そんな道。

 

とにかく漠然としていて、何が「不安」なのかも分からないけれど何故か何かがぼんやりと不安だ、というような。

 

「希望」と呼んでいいのか分からないほど漠然としているけれど、でもなぜかなんとなくどこか先行きに明るいものを感じている、というような。

 

比喩は(ご覧の通り)得意じゃないけど、なんとなく比喩について考えてたりします。

 

 

 

関係ないですけど、『東京タワー』を読みました。

 

もちろんリリー・フランキーのです。

 

バイト先のパートさんが持ってるのを知って、バイトを休み始める前に借りて、でも色々が色々で読まないままだったんですけど、つい先日。

 

そうでなくても少し涙腺が緩んでいる今日この頃な上に、祖父のことがあってまだ間がないので、冒頭を読んだ時から思ってた通り、ダメでした。

 

ネットで延々と海外旅行関係のサイトを見続けてる同居人に気づかれないように、必死で泣き声が出るのを押さえました。

 

 

 

(たまに泣いてることどころか、本を読んでいることにさえ一切気づかず、5~6時間経って、「長いことパソコンやっててごめんね、ネットやりたいよね」と話しかけてきた同居人。)

 

(「私がネットやってるから起きてるんだよね、ごめんね」という、思いやりのつもりの完璧的はずれなことを言って、本を読むのを邪魔する同居人。)

 

(で、こっちの考え全く知ったこっちゃないという感じで、いきなり今日引っ越し先を決めて帰ってきた同居人。)

 

(もちろん、このブログも一切読まない同居人。)

 

(ムクと暮らし始めたことと、祖父の死後一層悪化した不眠症が一番の原因で、「引っ越したい」と言ってきた同居人。)

 

(非難したいわけじゃなくて、ただとにかくわからない。)

 

(関係性ががらりと変わったこの半年。)

 

(この人は僕の何で、僕はこの人の何なんだろう?)

 

(「7年間」って、一体何なんでしょう?)

 

 

 

とにかく、読んでる間中ひたすら祖父のことが頭に浮かんでた。

 

初めて見舞いに行った時、僕のことを思い出してくれた後、本当に聞こえるか聞こえないかくらいの消え入りそうな、ア行しか発声できなくなってるかすれた声で、何度も名前を呼んでは、手の平に指で「川」「魚」という二文字を繰り返して書いて、僕のことを思い出したことを何度も確認してくれてた祖父。

 

何を言えばいいかよく分からなくて、紙に「大丈夫?」と書いて見せたら、「ダメだ」っていう風に口を動かしながら首を横に振ってた祖父。

 

「また会いに来るよ」って書いたら、涙を浮かべてた祖父。

 

全然悲しさや寂しさは押し寄せてこない自分。

 

それなのに、容態を心の底から気遣ってるような文言を紙に書き続ける自分に対する嫌悪感。

 

それから1年後、もう意識があるのかないのか分からないような状態になってた祖父。

 

それこそ身体中管だらけで、目がほんの少し開いているだけで、こっちを見ているのか見ていないのかもよく分からない祖父。

 

それでも全然悲しくならない自分。

 

「もう確実に長くないんだろうな」と客観的に考えている自分。

 

嫌悪感。

 

罪悪感さえ抱けない自分に対する嫌悪感。

 

 

 

「亡くなった」ってメールが来た途端、今さらとしか思えない後悔と一緒に、一気にわけのわからない感情が押し寄せてきて、涙が止まらなくなったこと。

 

棺桶の中のおじいちゃん。

 

骨だけになったおじいちゃん。

 

 

 

おじいちゃんこと、本当に大好きだった。

 

高校生の時、ノイローゼみたいになって、死ぬか家を出るか、その二つしか考えられなかった時、なんとなくふと向かったのもおじいちゃんの家だった。

 

何年か振りに突然来た孫に対して、とにかくびっくりしながら喜んでくれたおばあちゃんと、その後ろで同じくびっくりしながら喜んで出迎えてくれたおじいちゃんと。

 

 

 

 

 

「時間が過ぎてゆくこと」に対するこの異常なまでのリアリティは、一体何なんだろう。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/6/8 01:03

 

 

次の引っ越しが、人生で4回目の引っ越しになります。

 

結局、ここで暮らした時間は、今までで一番短いものになることに。

 

 

 

今週の金曜日にはできたら部屋を決めます。

 

同居人、こんな扱いづらいことこの上ない人間と7年以上も付き合ってくれて、2年以上も暮らしてくれて、ほんとありがとね。

 

バイバイ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/6/10 04:10

 

 

引っ越し先決定。

 

木造で築22年の連棟式貸家の中の一貸家。

 

2階建てで、3K。

 

最寄りの地下鉄駅までの距離は今とほぼ変わらず徒歩15分程度。

 

んで、月々5万円。

 

気になる点は多々あるけれど、物件に関しては、学生時代に住んでたところに比べたら遥かに良いのは確実だし、なにより、「ペット(特にネコ)可」で、ある程度の安さでなおかつある程度の広さを、と考えると、ということで、結構即決な感じでした。

 

ちなみに初期費用も約20万円ですみました。ふぅ。

 

 

寝ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だらけてるムク.jpg

 

  2006/6/12 00:14

 

 

今さらこんな気分になるなんて。

 

祖父が死んだことで、完璧に歯車が狂った。

 

寂しい。

 

「自分に同情する」という感じを、どうすれば自己中的な空気や自己憐憫的な空気や自意識過剰的な空気や悲劇的誇張的な空気を一切排したかたちで表現することができるんだろう。

 

昔からそれをメインでやってきた。

 

目に見えるもの全てが羨ましく感じてしまう。

 

明らかに危険な兆候だ。

 

 

 

8月7日に完全に今の家を引き払うことになりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/6/14 01:33

 

 

連棟式貸家はやっぱりきついかもとか、いろいろと考えた結果、やっぱり部屋変えました。

 

家賃が共益費込みで6万、入居費用がトータルで40万円(2倍に跳ね上がりました)。

 

これで必死こいて貯めた貯金が残り2000円に…。

 

(なんか、前の住人が、「上の人が呪いをかけてくる!」とかなんとかと苦情を言ってくるというとんでもないお方で、部屋をグチャグチャにした挙げ句追い出されたらしく、結果リフォームに180万かかったせいもあって、家賃やらなにやらが跳ね上がったとか何とか…。他の部屋は勝手口みたいな玄関なのに僕が入居予定の部屋だけたいそうな玄関でしかも2重ロック式だし…。まったくキ○ガイは困るわ…。)

 

就職についても考え始めました。実質今の僕はムクを最優先に生活したり部屋決めたりしてるし、ムクがいる間は引っ越しても結局歌録り直しとかも一切できなさそうだし。バイト先も人間関係等々がきつくなってしまっているし。せめて新しい時給の良いバイト先(か派遣先)を探そうかなあと。

 

 

 

ということで。

 

できる限り歌録りしながら、できる限りバイトに入りながら(フルで入ると14~15万円は稼げる)、新しい働き先探しながら、今ある音源の中で比較的マシなものをオーディションに送りながら、という感じでいかねばという感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回転したムク.jpg

 

  2006/6/28 02:01

 

 

記しておきたいことがまだまだ山ほどある。

 

(もちろん、自分のためだけに、です。)

 

でも、ノートどころか、PCに向かう時間・気力さえなくて、気が付いたら「一週間日記の更新がされていません、日記を書きませんか?」というクソメールが来てた。

 

とりあえず、そのクソメールには関係なく、今日は何とか時間も気力も少しあるので、こうしてPCに向かっているわけですけど、本当に記しておきたいことが山ほどあるので、結局何も記しておきたいことは書けなさそうです。

 

 

 

とりあえず、箇条書き。

 

・又貸ししてもらって観た、99年にやってたドラマ「ケイゾク」について

 

・その主題歌、中谷美紀の歌ってる「クロニック・ラブ」について

 

・「ケイゾク」と(映画版)『デスノート』とに共通している重要なテーマについて

 

・(映画版)『デスノ-ト』よりも「ケイゾク」の方が数百倍・数千倍も面白いことについて

 

・「ケイゾク」の第6話を観て、しばらくして一気に沈んだことについて

 

・それらの理由について

 

・「自信」の「信」について

 

・ROSSOの活動休止(というよりも、チバユウスケ)について

 

・7月1日から新居への引っ越しが始まることについて

 

・最近、ストレスたまってる時のムクの鳴き声が半端じゃなくて、下痢も再発して、そのせいで何度も起こされて睡眠不足がより酷くなったことについて

 

・7月1日からタバコが値上げされることについて

 

・21歳になる前後以前の記憶がどうにもぼんやりしていることについて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/7/2 01:16

 

 

炬燵と衣類とバスドラペダルとうしおととら。

 

新居の鍵を受け取ったので、とりあえずそれだけ移動。

 

 

 

鍵持って部屋の前に行ったら、郵便受けに何故か新聞が入っておりまして、なんじゃこりゃと思いながら観てみたら、中国語の新聞でした。

 

前に住んでた人宛に送られた物らしく、そこに書かれてた名前から、前の住人はどうやら中国人だったっぽいことがわかりました。

 

保坂和志の『残響』を思い出す。

 

とりあえず、そのまま炬燵の上に置いてきた。

 

 

 

まずは気持ちを平熱にもってゆく。

 

とはいっても、それは、「とりあえず正座」みたいな、形骸化された儀礼のような感じで構わない。

 

とにかく、そこに向かうための準備をする。

 

焦らないように。

 

止まらないように。

 

先走ることのないように。

 

止めてしまうことのないように。

 

頭の中で自然と言葉が溢れ出したら最低限の条件はクリア。

 

もう、誰の影響を受けることも一切無くなる。

 

劣等感も優越感も自然と全て消え去る。

 

 

 

少し前まではごく自然に起きていた現象です。

 

今は、過ぎ去って、そして、やってくるのを、ただひたすらに待ちましょう。

 

今は「自信」と呼べるものなど一切存在していないけれど、不思議な「確信」だけは不思議なことに全く消えない。

 

「確実にこうなるんだろうな」というような。

 

 

 

 

 

ムクのトイレ、どこに置こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/7/18 23:44

 

 

"I know I’m not a hopeless case." 

 

生きてます。 

 

 

 

バイト後のまだ明るい時間なんかを利用して、羅に手伝ってもらったりもして、ドラムやこたつ布団や毛布やソファァァやギターやベースやギタレレやCDの4~5分の1やコンポやCDラックやMDやらなんやらをなんとか運び終えました。

 

 

 

とにかく、かなり運んだはずなのに、全く部屋が片づいた気がしません。

 

ムクは目から怪光線出すし。

 

ムクの目から怪光線.jpg 

 

あと2週間で引っ越し完了できるのでせうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  2006/7/30 21:59

 

 

8月1日から、しばらくの間ネットできなくなります。

 

本当は8月頭には新しい部屋でもネットできるようにと色々と頑張っていたんですけれども、なぜか何回申し込んでもどうしてもソネットのにゃろうがNGを出しやがりまして、そんなこんなしているうちにもうここではネットできなくなる8月になってしまうことになり。


 

 

 

新しい部屋は電気通したのに換気扇は回らないし、バイトから帰ってきたら暑さでストレスの溜まったムクがまたテレビの前に下痢を撒き散らしてるし、クスリ飲まずに寝ちゃったらまたバイトがとんでもないことになるし等々等々、「これやったらとりあえず一山だな」と考えてたことが達成できてもそんな気分がすぐにかき消されてしまうようなことばかりで、正直もう勘弁してくださいという感じしかないんですが、そんな気持ちなんて本当に恐ろしいほど全く関係無しに、とにかく1週間後にはもう引っ越しが完了してなきゃいけない時期になってしまいました。

 

明日は洗濯機。

 

その前にゴミの整理とバイト。

 

自分の部屋の荷物はほぼ全て運んだし、あとは冷蔵庫等の家電がメイン、と書くと、結構運び終えたはずと思ってもいいだろうと思うのだけど、何故か全くそうは思えません。

 

まあ、1週間後にはなんだかんだで引っ越し終えてるんだろうけど。

 

その後には今度は手続きラッシュだけれど。

 

 

 

色々と思うことはあるし、色々と表現してみたいこともあるけれど、行動にまで移らないということはやっぱりそれはまだ形にはならない(ならなくてもいい)ものなのだろうとは思います。

 

久々に音楽聴いててそんなことを思いました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムク直視.jpg

 

  2006/7/31 23:55

 

 

長い長い管の中を下っていって。

 

狭い穴をくぐって。

 

物理的な繋がりを断ち切られて。

 

おぎゃあおぎゃあと。 

 

ただの事実。

 

なのにどうしてそこから得体の知れない感情(と呼ぶのも憚られるようななにものか)が湧いてくるのか。

 

結局はそういうところに戻ってしまう。

 

コードを通してコードが響く。

 

単純だけど不思議。

 

昔よく思ってました。

 

教育実習の時、「これに3文字適当に何か書いて」と言って渡した紙に、「マ」「リ」「ファナ」と書いて返してくれた生徒(大爆笑した)は元気かな。

 

多分大学生になってるはず。

 

同じだけ歳を重ねただけのはずの「先生」は随分とおじさんになった気分だよ。

 

あの紙は新しい部屋でも本棚に貼ったままだよ。

 

「マ」「リ」「ファナ」.jpg 

 

「どっかで会ったらラーメン奢る」って約束したけど、多分一生会わないんだろうね。

 

 

 

あと数分で8月。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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ムク ~野良時代~ [ムク]

ムク_3.jpg

 

  2005/4/26 15:31

 

(お昼の2時半に起床。ああ、頭がくらくらする。公園の猫、元気かな。子どもにいぢめられてないかな。いぢめられてたら、いぢめかえしてやるから安心しろよ。ムク。ムク。ムク。僕が勝手につけたその猫の名前。ムクと暮らしたい。) 

 

 

 

  2005/5/3 19:26

 

たくさん眠ったからずいぶんとくらくらが改善された。寝過ぎてちょっと気持ち悪いけど。昨日のくらくらは本当に酷かった。そのくせ子どもと全力で遊んじゃうものだから、あとから吐きそうになった。

 

あ、「猫をいぢめちゃダメだよ」ってちゃんと言っておきました。安心しろよムク。

 

ムク、元気かなあ。

 

一緒に暮らしたいなあ。

 

 

ムク_4.jpg

 

  2005/5/7 04:15

 

猫に安らぎを。

 

世界に安らぎを。

 

おやすみなさい。

 

神様。

 

 

 

  2005/5/21 02:44

 

ムク、愛してる♪ 

 

 

 

ムク_5.jpg

 

  2005/5/23 02:30

 

広いのっぱらで、ギターめちゃくちゃに掻き鳴らしながらひたすら叫びまくったわよ。

 

「ムク・マイ・ディァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」 

 

ムク1.jpg

 

  2005/6/9 03:25

 

でも、なんだ。

 

もうよくわからない。

 

いのちはかけがえのないものかもしれない。

 

唯物的にも観念的にも。

 

でも、そんなの、実感が湧くはずがない。

 

僕もみんなもムクも、いずれ死んで、忘れ去られてゆくんだし。

 

 

 

  2005/7/1 03:15

 

ムクと暮らしたい。

 

 

 

  2005/7/13 03:57

 

いのち。

 

変なの。

 

感情。

 

変なの。

 

好きになりたいものを好きになれたら人生なんと楽なことか。

 

(何も男女関係やらに限った話ではない。)

 

 

 

  2005/7/21 00:14

 

「遠さ」というのは、何なんだろうね。

 

決して天秤にかけてはいけないものが知らぬ間に天秤の皿の上に乗ってしまっていたような。

 

でも、どちらにより傾いているのかは、きっと永遠に解らない。

 

誰にもだよ、もちろん。

 

永遠に揺れ続ける、揺るぎないおかしなものごと。

 

決していかさまなんかしないよ。

 

でも、いかさまって一体何なんだろうね。 

 

 

 

  2005/7/22  

 

後ろからムク2.jpg

 

「吾輩は猫ではない」。

 

・・・って、そりゃそんなこと言うまでもないけど、なんかこう、

 

 

なんでもない日常で 猫がホトホト歩いていって ふと立ち止まって こちらを振り向く時 永遠に縮まらない猫との距離を知ってしまう

撫でても 撫でても さわっても さわっても その距離はあるのだ

猫に時間の流れる を読んでいると その厳粛さがずーっと持続してとてもせつない


(by 大島弓子 保坂和志『猫に時間の流れる』より引用)

 

 

こういうせつなさが僕には(僕にも)とてもせつないので、この写真を載せてみたのであって、決してつまらないボケのためではないのである。

 

というか、ムク(この写真の猫)、いつもニャアニャアすり寄ってくるんだけど、しばらくしたらふと思い立ったようにホトホトと歩いていくんですよ。

 

そのあとはもう、(こちから駆け寄らない限り)ほとんどこっちを振り返らない。

 

時々は(大島弓子が書いているように)、ふと立ち止まってこちらを振り向く。

 

そういうときに感じるムクとの「距離」やら「せつなさ」やら、上の大島弓子の文章で出てきている「せつなさ」やらをキャメラに収めておきたくて↑の写真を撮りました。

 

ムクとの距離をいつでも実感出来るように(実感していなきゃいけない気がする)、↑の写真は携帯の待ち受けにしてみました。

 

見るたびにせつなくなりますが、現実はやはりまずは受けとめなければ何も進まないのです。

 

(じゃあ受けとめたら進むのか?)

 

(何が?) 

 

 

 

↑の写真は、確かにせつなくはなるのですけど、「ムクがそこにいる」ということが嬉しいという点もないわけではない。

 

 

 

多分、ムクは、僕が生きているうちにいなくなっちゃうんだよなあ・・・。

 

こういうこと考えると本当に先に死にたくなってしまいます。

 

「Martha my dear」という、今では確実に生きていないであろう愛猫(後日注:愛犬らしい)のことを歌った飼い主バカソング(大名曲!!)を、Marthaが死んでからのポール・マッカートニーはどう思ってたんだろうなあ。

 

そんなことを考えると、「私が生まれる前からも世界はあり、私が死んだ後も世界はあり続ける」という保坂和志の言葉に、なんだか実感を得られます。

 

だって、Marthaは、確実にもう死んでるんだよ?生きていないんだよ?うちら(の大半)が生まれる前にはもう死んでたんだよ?

 

とにかく、動物実験だとか三味線だとか猫を食べる文化だとかそういうものに反発するつもりは全くないですけど(そういうのに無邪気に反発する人は大抵「他者」やら「仕組み」やらなぞ全く知ろうとしない、ただの良い子的おばかちゃんだと思います)、なんにせよ、できる限り多くの野良猫たちが、できる限り「幸せ」になりますように。  

 

 

 

  2005/8/17 03:04

 

笑われるのにはもう慣れた。

 

バカにされたって構わないね。

 

ムク2.jpg

 

愛してる。 

 

ムク3.jpg

 

愛してる。 

 

ムク4.jpg

 

愛してる。 

 

 

 

  2005/9/5 03:01

 

いのちは。


いのちで。


あるからして。


いのちなのだ。


きっと。 

 

 

 

  2005/11/4 02:57

 

 

なんか寒いわね。



結構厚着してるのに。



飲酒してほろ酔いになっても寒い。



ムクたちのことがとても心配だ。



君がいなくなると胸が痛くなる。



無事に。無事にまた傍に。

 

 

後ろからムク1.jpg

 

 

「全ては愛で満たされている」。



じゃあ、君がいなくなった世界は。



世界は?



世界は「全て」から阻害されてしまうのかしら?



善意なんかじゃなく、感情のままに。



「あなたは愛を与えられるはず」。



「あなたは親切にしてもらえるはず」。



思いもかけない存在に。




何が足りないのかな。



愛は消えないのかな。



元凶はそこなのかな。



嘘は嫌いだよ。

 

 

 

ムク_1.jpg 

 

  2005/11/11 09:03

 

ムクが。


ムクが。


里親のもとに行くことになりそうです。

 

いろいろあって現在いったん保護して入院させてるんだけど、それが終わったら。

 

うちじゃなくて、他の人のもとへ。 


それが一番良いってことはずっとわかってた。


でも、心がすんなり受け入れてくれるわけがない。


悲しい。


寂しい。

 

 

 

君がいない世界は。

 

世界は? 


??????????????????????? 

 

 

 

ストロベリー・フィールズ・ムク.jpg

 

僕とムク.jpg 

 

  2005/11/13 01:29

 

ムクと、一週間だけ暮らすことになりました。

 

里親さんにお渡しするまで、ということです。

 

(ほんとは自分がムクと一緒に暮らしたいけど、住んでるところがペット禁止等々等々等々等々の制約があるので、紹介してもらった、「長毛の猫ならうちで引き取りたい」と言ってくれてる里親さんのところで暮らすのが一番だろうと。)

 

 


最初からきちんと、当然のようにトイレで排泄しましたよ。


やっぱりもともと飼い猫だったみたいで。

 

避妊手術のために保護して入院させたんだけど、病院に面会に行ったら、お医者さんに、「開腹したんですが、もうこの子は避妊手術済みでした」と言われた。 


避妊手術までさせた上でムクを捨てたクソが多分今でも世界のどこかで、そう遠くないところで長らえてやがるみたいで。

 

退院して、一時的にうちに連れて帰った途端、ありえないほど馴染んで。


布団で寝たり、座布団で寝たり。


怯えもしないし暴れもしない。


 

 

ムクと一緒に暮らしたいとずっとずっと思ってた。

 

引っ越すことだってずっと考えてましたよ僕は。


「野良猫の実態」だって知ってる。


 

 

嬉しさなんか全くといっていいほど無いのよ。


寂しいだけ。

 

 


"i'm not living, i'm just killing time."


"your tiny hands. your crazy kitten smile."

 

 


頭の中を「TRUE LOVE WAITS」ばっかり流れんの。


 

 

寂しい。

 

 


僕は自分のためにしか生きてないし、それはこれからも変わることはないね。


死んだって変わらない。

 

 

 

餌とムク.jpg

 

  2005/11/17 02:29 

 

"chemical reaction."


遠ざかってゆくスピードとか。


時間の速度とか。


全くわからん。


言語というのは多分、完成された不良品なんだと思う。


だから齟齬やら理解やら愛やら憎しみやらが存在して、なのに誰もがそれでも何かを伝えようとして、それで齟齬やら理解やら愛やら憎しみやらが生じて、芸術が生まれて、完璧に生きていなくていいようなバカは生き続けて、可能性さえわからない存在は死に続けて。


長い長い数日間。


長い長い数日の間、大抵のことから断絶されてた。


短くて仕方のない年月。


「完璧に矛盾のない矛盾した世界」。


いつも頭の片隅にある言葉だけど、嫌なくらいにそれを実感してる。

 

 

 

数日間の凄まじいなんやかやを経て、ムクと(どちらかが)死ぬまで暮らすことになった。

 

 


でも、そこに実感や喜びなんか欠片もない。


寂しさやらやり切れなさしかない。

 

 

 

知識に溢れたみなさま、ねえねえ、どこからどこまでが"chemical reaction"なんですかねえ?


教えろよ。

 

 


猫活動してる知人が紹介してくれた人がムクの里親になることがほぼ正式に決まったので、直接会って、里親になりたい理由を聞いたら、

 

「家が古くてネズミがいっぱい出るから、ネズミ捕まえて欲しいんですよーははははー」

 

って。 

 

しかも、ムクは騒がしい子供が苦手なのに、

 

「うちは子供が多くていつもみんなドタドタ走り回ってるんですよーはははは-」

 

って。

 

これはまずいんじゃないかと思って、いろいろと考えた挙句に後日改めて電話して、「あれからいろいろと考えたんですけど、ムクはたぶんネズミを積極的に捕まえたりするような活動的な猫じゃないのでネズミ捕まえるとかそういう期待にはたぶん応えられないですし、あと、以前子供に追いかけられたりいじめられたりしてたことがあるので、そちらの環境ではちょっとムクはしんどいかなあと思うのですが・・・」等々と、とりあえずその時点で思ってることを話したら、雲行きが怪しくなってきて。

 

そういう話を今さらになってするのは良くないことはもちろんわかってたから、それに対して文句言われることとか自分が叩かれることは覚悟してたけど、それだけじゃなくて、紹介してくれた人たちのことやその人たちの猫活動のこととかまで悪く言い始めたので、こっちが悪いところは謝罪しつつ、それは違うということに対しては丁寧に「こうこうこうだからそれはおかしいと思います」って筋道立てて説明してたらどんどんキレ始めて。

 

「納得いくようにちゃんと説明しろ !」って怒鳴るから納得いくようにちゃんと説明したら「ん?ああ・・・そうだろ?俺もそう言っただろ?ああ!?(言ってない)」とか「だから・・・ほんとお前はああいえばこういうやつだな!なんなんだお前!」とか言って怒鳴ってきて、「いや、あなたが納得いくように説明しろって言ったから説明したんじゃないですか」って言ったら「そういうのを屁理屈っていうんだよ!」とか言ってまた怒鳴って。

 

これは埒があかんな、ますますムクを任せるのは厳しいな、等々と思いながらも粘り強く話をしてたら、「お前らのやってることは偽善だ!」とか言ってとにかく怒鳴りちらし始めて、最低限の論理も通じないくせに、「優しさ」やら「愛情」やらを語り始めて、それがもう、とても聞いていられない内容で。 


その辺でとうとうこっちがブチギレまして。


偽善かどうかなんてどうでもいいけど、いつまでもそんなくだらない講釈聴いていられるかと。

 

おかしいところ全部指摘した上で「あんたなんかにムクを任せられるか!」と。 

 

 

 

出会い系からの不正請求電話を思い出した。

 

 

 

そして翌日、その人を紹介してくれた方から「先方からこうこうこういう電話がかかってきたんだけどどういうことか」と電話がかかってきたので、電話の内容を大雑把に説明して、「せっかく紹介していただいたのに本当にすみません」と謝って、「やっぱり自分がムクと暮らします」と。

 

その人は本当に本当に猫のことを何よりも誰よりも一番に考えてる人だから、「悪いけど、(経済力もなくてペット不可の家に住んでる)ポール君のところでムクちゃんが幸せになれるとは私にはとても思えない」と正直な気持ちを涙ながらに話してくれたんだけど、 で、また少しケンカになったりもしたんだけど、とにかくまあ、こうなってしまったからには自分が引き取ります、と。

 

 

(中略) 

 


根の善悪なんか、「優しさ」やら「愛情」なんかじゃ全く測れない。


「完璧に矛盾のない矛盾した世界」。


 

(中略)

 

 

なんで命とか何とかはこんなに重くて軽いのかな。

 

なんで命なんかあるんだろう。


 

 

「好きだよ。」で全てが済めばいいのに。


男女の惚れたはれただとか生き物だとか、そういうことじゃない。


「君が好きだよ。」で、全てが終われば。

 

 


完璧に生きていなくていいようなバカは生き続けて、可能性さえわからない存在は死に続けて、それでも「全ては愛で満たされている」、それは完璧な真実。


これは矛盾じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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