現実感が薄れてゆく [労働日]
高校時代からの長年の夢を叶えたというのに、懐かしい人と思わぬところで再会してしまったせいか、何故か高校時代のことばかり思い出して、ボーナスで北海道旅行計画したりしてる自分のことが自分の中でどんどん遠くなってゆくのは、離人症の名残なのか単純に離人症の再発なのかはたまたただ健全なだけなのか、ほんとアホみたいでバカみたいだけどそんなことでいちいち考え込んでしまって、 結局どれが正なのかは全然わからないんだけど、でもただただとにかく現実感が薄れていってしまっていて、そこに厳然たる事実として残るのは、今自分がそれなりに大きな会社で障害者雇用ながらもCADスキル一つでなんとかやっていることだったり、もうあと三ヶ月弱で三十六歳になることだったり、同時に入社してから丸三年が経過するってことだったり、「三十三歳くらいだと思ってました・・・押忍!」と二十六歳位の社会人二年目の子に言われたことだったり、突然スピッツのアルバムを最新作以外全部買い揃えたことだったり、Throwing Musesの『The Real Ramona』をポチッてワクワクしてたのに店側の都合でキャンセルされて落ち込んでいることだったり、相変わらず小島麻由美の「夏の魔物」のカバー聴いて泣きそうになることだったり、もう十年以上もロヒプノールに生かされていることだったり、いまだにMAX+α服用してるってことだったり、それらのせいか肝臓の数値がちょっと二次曲線的に悪くなってるとのことで今度二泊入院して肝臓の組織取って検査することだったり、その病院はもちろん七年前に地下病棟に入院したのと同じ病院なんだけど今度は精神じゃないから地下じゃなくて地上5~12階に入院するってことだったり、そこは六人部屋じゃなくて四人部屋か個室になるってことだったり、息子がもうすぐ二歳と四ヶ月になるということだったりして、やっぱり自分は今人生最良かつ最悪な時間を過ごせているんじゃないかと思って酷く現実感が薄れてしまうことだったりするので、やっぱりよくわからない。
昔、某所で、二児の父親になった某主任さんが、「俺のブルーズはどこへ行った!?」と叫んでいたことを今でもごく最近のことのように思い出すのだけれど、 そしてこれらの感覚は某主任さんのそれと似ているのかもしれないなあと思うときもあるんだけれど、でもそれに近いと言える様な感覚は自分の場合もうずーっと前からずーっとあって、何故かって言ったら僕はもう二十三~二十四歳の頃からそれ以前のようには曲を作るということをしなくなったからで、それでも三十歳くらいまでは「いずれまた前みたいに作るようになるんだろうなあ」と他人事のように思っていて、そしてここ何年かはそれが「作りたくてしょうがないのに何故だか心が制作に向かわない!それでも生きなきゃ!」って感じに変化してしまっていて、その変化というのはとてつもなく大きなもので、ある種の生まれ変わりに近いと言っても差し支えないくらいに大きなもので、それを自覚しているのだからじゃあ自分はやっぱり結婚とムクの最期と息子の誕生をきっかけにある意味一度(あるいは三度)終わったんだろうと頭の中でぶつぶつ呟いたりしているわけで、これはやっぱり健全なのだろうと。
だがしかし、そうなると、僕は自分の中で「ただの三十六歳近くの病気もち」になる。
これはよろしくない。
精神衛生上非常によろしくない。
もちろん身体も変わらずよろしくない。
「せめて息子が大学を出るくらいまでは・・・」などと真剣に考えてしまう。
「お母さんより先には、、、」なんてことは、容赦どうこうじゃなくて、ってこれはまあいいや。
「やっぱり将来のことを考えると、それでも本当はきょうだいがいたほうがいいんじゃないか」とかも考えたりする。
僕には現在スネップの兄がいるのだけれど、僕の少年時代といえば頻繁に理不尽に兄にボコボコにされるのが普通で、(中略)で、そして現在では自分の中では最早兄は他人で、母の負担とか息子のこととか考えるとむしろいなくなっちゃったほうが様々な面で都合がいいんだろうなとか考えちゃったりしていて、まあ早い話が酷く兄不幸で兄不孝なんだけど、それでも「兄がいるということ」自体にはさほどネガティヴな気持ちにはならないものだったりして、それを考えると、「息子にもきょうだいがいれば、将来物理的に分散できる負担もたくさんあるよなあ・・・」とか思ったりするわけで、つまり自分はある意味立派に親だったりもする。
それはたぶんよろしくないことではない。
で、此処ら辺で思考がすでに二周くらいしてしまっていることに気づく。
年齢的には螺旋階段的だけれども、思考的にはただの周回。
三次元でも四次元でも五次元でも無限次元でもない、ごくごくありふれた二次元の世界。
そこでは平面と断面から三次元を頭の中に思い描かなきゃいけない。
そしてそれを実際に仮想的にディスプレイの中で三次元に起こさなきゃいけない。
たとえその才能が、あるいはそれに直接的に繋がる素養が、自分には致命的に欠けているのだとしても。
カネもらってるしね。
それしかないからね。
そして最近、ようやくムクの遺骨を庭の木の下に埋めようかなあと思えるようになってきた。
僕がそこに一緒に眠ることは法的に不可能だけれど、でもそれができたら僕はまたひとつ「ただの病気もち」に近づくのだろうと。
近づけるのだろうと。
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