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奪われた時間と奪ったもの [非労働日]





23年前、冷静に事実のみを勘案して、自分は明らかに奪われたのだと思い至りこの曲を作ったのだけど


それから23年経った今、果たして彼らは奪ったつもりだったのだろうかと考える


彼らとは、間違いなくあいつとあいつとあいつ


トラウマだとかレイプだとかの話には、「加害者が忘れ(られ)ても被害者は忘れられない」という事実が付きまとう


同じで、自分は今でも何一つ忘れられない


では、彼らには「奪った」という自覚があったのか?


そこに思いが至る


時計を巻き戻す


彼らの一人は泣いていたし、また一人は「お帰り」と言っていたし、また一人は本当に忘れてしまっているように思える


泣いていた一人と「お帰り」と言った一人の気持ちは今ではわからなくもない


最後の一人には「お前散々殴っただろ」という気持ちが消えない


自分が被害者だったことには変わりがない


でも、もしかして、「加害者」にとっては自分が「加害者」だったのでは?


行き詰る


「君の作る曲はきつい」と言われたことが何度かあった


いや、でも事実を書いただけだし、そんなこと関係なく良いメロディーでしょ?よい編曲でしょ?と思ってた


でも、自分が思っている以上に「きつい」歌詞なのかもしれないと


その可能性に辿り着いた


目的は今でも変わらず、とにかく良い曲を、綺麗な曲を作りたいと


では、その綺麗な曲に相応しい歌詞を、自分は書いたのかと


そんなことを思うようになってきた


でも今更歌詞は変えられない


被害妄想などでは絶対に無い


その思いはおそらく一生変わらない


では、その歌詞が人にダメージを与える可能性は??


間違いなく大きい


一人はおそらく何も言えなくなるくらいの悲しさに包まれるだろうと


その時、自分は間違いなく「加害者」になる


表現って難しい


「人を傷つけない漫才」にメチャクチャ惹かれてる


同じように、「人を傷つけない曲」を作りたいといつも思ってきた


でも、それでできた曲が人を傷つけてきたかもしれない


ゼロ


いや、マイナス


マイナスだったのか


一生悩み続けるんだろうと思う













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