絶望に触れると [ほにゃらら中]
何も悲しくはないと
生きてて幸せサイコーと
空元気をはためかせて
まあ悪くはないのかなあと
思いながら絶望するのは何故かと
軽く絶望したり
昼起きて
新聞読んで
軽く絶望し
おクスリ飲んで
昔のマンガ読んで
ソファーで寝て
軽く絶望して
ギター眺めて
ムクなだめて
涙がこぼれたり
曇り空に
鳥のシルエット
一羽が一羽を追いかけて
一羽が一羽につかまり
ハンドル握って脱力
制限速度を守って脱力
悲しい振りでもない
楽しいこともない
ヒロイズムの欠片もない
それぞれの普通を普通に生きてれば
絶望することも多いでしょう
それはもう多いでしょう
多いでしょうよ
そこから記憶を辿ろうとして
辿ろうとして
辿ろうとしても
辿りつけず
9割以上欠落してて
なんだか情けなくなってしまって
グレア液晶に話しかけてみたりして
そんな嘘も平気でついて
なんだか情けなくなってしまって
情けなくなってしまって
僕はなんだか情けなくなってしまって
あんなに近かった背中も
あんなに遠くて殺したいほど憎んだ背中も
今ではもう全く見えなくなってしまって
見えなくなってしまって
本当に
本当に
ただもうどうしたらいいのかわからなくなって
どうしようもなくて
どうしようもなくなってしまって
悲しくなってしまって
悲しくなってしまって
ただただどうしようもなく悲しくなってしまって
空をぼんやり眺めたりして
それもまた嘘で
嘘ついてるのは事実で
心に大きな隙間がまた生まれたとか言って
んなことばっか繰り返してるから
31歳にもなってこんななんだね
ふふふっ
2012/5/30
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a short piece (for Tohoku) by Paul_Starr
【歌詞】
風に運ばれる歌
春の訪れの音
闇を 引き裂く 光
蝶々が花を渡ってる
憧れと夢が交差して 現に変わる
こんな 気休めの歌が
君の心を揺らす
そんな 大それたことは
望むべくもないけど
喜びはいつも悲しみの果てのその先に
いつでも僕の心は君の隣にあるよ
君の祈りと涙は いつか いのちに届くよ
歌詞もメロディーもコード進行も恥ずかしくてたまらなくなるくらい陳腐な感じですが、全てにおいて恥ずかしくてたまらなくなるくらい陳腐な感じのものをと思って作りました。
ただの自己満足じゃない、それくらい直球で正直なものじゃないと何の意味もない気がしたので。
正味数十分でできたものですけど、嘘だけはつかないようにと。
で、ほぼ完璧に匿名なところで「prayforTohoku」とかいうのも何か違う気がしたので、動画も上げました。
海外からのメッセージで、「あなたたちは一人じゃない」とか「我々の心は東北の人々と共にある」みたいなのがよくあるじゃないですか。
ああういうの聞くたびに見るたびに、なんか泣きそうになるんですよ。
自分もあれくらいど真ん中の強くて優しい言葉を発することができたらと常々思ってたんですよ。
なので、せっかくなので少し拝借しました。
(演奏とかが酷いのは、環境と知識と技術等々の関係でしょうがないのでご容赦ください。)
アマチュアの中のアマチュアで全てにおいて下の中くらいの小粒な存在とはいえ一応「表現」に携わって生きている以上、ここで沈黙するのは、何か、なんというか、卑怯なんじゃないかという気もしたので、こんなのとりあえず作ってみて、そして一応かたちにしてみました。
あくまでも自分は、という意味で、他の人がどうこうと言う話じゃないです。
でも、今は、写真家でもミュージシャンでも画家でも誰でも、もし何かを表現するのであれば、「春」を、そういった比喩が嫌いな人はもうそのまま「希望」を、そういう、陽性の何かを表現するべきだと思うんです。
なるべくは。
全部感覚でしかないことで、論理的にどうこうという話ではないんですけど、とにかくそんな気がしてるんです。
なので、自分はとりあえず手始めにこんなもの作ってみました、と、そういう感じです。
位置づけとしては、前回のブログに追記で乗せた春の写真と同じ感じです。
僕が撮った写真よりずっと良い写真がそこらじゅうにあるように、向井秀徳が歌った「ふるさと」とか、もっと素晴らしいものはいくらでもあるけど、今の自分が何かを表現するならば、とりあえずまずはこんな感じですと。
重くはないけど、軽いわけでもないというのか。
もし被災者の方から「こんな軽々しい励ましの歌なんか歌わないでください」とか苦情が来たら、それは本意ではないので、誠心誠意ご説明させていただきます。
それでもやっぱり「なんと言われようがこんな下らない励ましの曲なんか存在して欲しくない」とか言われたら、そのときはおとなしく消去します。
でも、誰かに届こうが届くまいが、気持ちは変わらんです。
今、ちょうど今、絶望のど真ん中にいる人たちが、ほんの一欠片でも「希望」的な何かを感じることができたら。
たぶん自分なんかの力じゃ不可能だけど、さらにはこんな駄曲じゃまずもって不可能だけど、それでも。
ここ数日、そんなことを思いながら日々生きております。
もし誰かにつまらない人間だとか思われても今はそんなことは別にどうでもいい。
つまらなくても優しいほうがいいに決まってる。