ムク ~野良時代~ [ムク]
2005/4/26 15:31
(お昼の2時半に起床。ああ、頭がくらくらする。公園の猫、元気かな。子どもにいぢめられてないかな。いぢめられてたら、いぢめかえしてやるから安心しろよ。ムク。ムク。ムク。僕が勝手につけたその猫の名前。ムクと暮らしたい。)
2005/5/3 19:26
たくさん眠ったからずいぶんとくらくらが改善された。寝過ぎてちょっと気持ち悪いけど。昨日のくらくらは本当に酷かった。そのくせ子どもと全力で遊んじゃうものだから、あとから吐きそうになった。
あ、「猫をいぢめちゃダメだよ」ってちゃんと言っておきました。安心しろよムク。
ムク、元気かなあ。
一緒に暮らしたいなあ。
2005/5/7 04:15
猫に安らぎを。
世界に安らぎを。
おやすみなさい。
神様。
2005/5/21 02:44
ムク、愛してる♪
2005/5/23 02:30
広いのっぱらで、ギターめちゃくちゃに掻き鳴らしながらひたすら叫びまくったわよ。
「ムク・マイ・ディァアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」
2005/6/9 03:25
でも、なんだ。
もうよくわからない。
いのちはかけがえのないものかもしれない。
唯物的にも観念的にも。
でも、そんなの、実感が湧くはずがない。
僕もみんなもムクも、いずれ死んで、忘れ去られてゆくんだし。
2005/7/1 03:15
ムクと暮らしたい。
2005/7/13 03:57
いのち。
変なの。
感情。
変なの。
好きになりたいものを好きになれたら人生なんと楽なことか。
(何も男女関係やらに限った話ではない。)
2005/7/21 00:14
「遠さ」というのは、何なんだろうね。
決して天秤にかけてはいけないものが知らぬ間に天秤の皿の上に乗ってしまっていたような。
でも、どちらにより傾いているのかは、きっと永遠に解らない。
誰にもだよ、もちろん。
永遠に揺れ続ける、揺るぎないおかしなものごと。
決していかさまなんかしないよ。
でも、いかさまって一体何なんだろうね。
2005/7/22
「吾輩は猫ではない」。
・・・って、そりゃそんなこと言うまでもないけど、なんかこう、
なんでもない日常で 猫がホトホト歩いていって ふと立ち止まって こちらを振り向く時 永遠に縮まらない猫との距離を知ってしまう
撫でても 撫でても さわっても さわっても その距離はあるのだ
猫に時間の流れる を読んでいると その厳粛さがずーっと持続してとてもせつない
(by 大島弓子 保坂和志『猫に時間の流れる』より引用)
こういうせつなさが僕には(僕にも)とてもせつないので、この写真を載せてみたのであって、決してつまらないボケのためではないのである。
というか、ムク(この写真の猫)、いつもニャアニャアすり寄ってくるんだけど、しばらくしたらふと思い立ったようにホトホトと歩いていくんですよ。
そのあとはもう、(こちから駆け寄らない限り)ほとんどこっちを振り返らない。
時々は(大島弓子が書いているように)、ふと立ち止まってこちらを振り向く。
そういうときに感じるムクとの「距離」やら「せつなさ」やら、上の大島弓子の文章で出てきている「せつなさ」やらをキャメラに収めておきたくて↑の写真を撮りました。
ムクとの距離をいつでも実感出来るように(実感していなきゃいけない気がする)、↑の写真は携帯の待ち受けにしてみました。
見るたびにせつなくなりますが、現実はやはりまずは受けとめなければ何も進まないのです。
(じゃあ受けとめたら進むのか?)
(何が?)
↑の写真は、確かにせつなくはなるのですけど、「ムクがそこにいる」ということが嬉しいという点もないわけではない。
多分、ムクは、僕が生きているうちにいなくなっちゃうんだよなあ・・・。
こういうこと考えると本当に先に死にたくなってしまいます。
「Martha my dear」という、今では確実に生きていないであろう愛猫(後日注:愛犬らしい)のことを歌った飼い主バカソング(大名曲!!)を、Marthaが死んでからのポール・マッカートニーはどう思ってたんだろうなあ。
そんなことを考えると、「私が生まれる前からも世界はあり、私が死んだ後も世界はあり続ける」という保坂和志の言葉に、なんだか実感を得られます。
だって、Marthaは、確実にもう死んでるんだよ?生きていないんだよ?うちら(の大半)が生まれる前にはもう死んでたんだよ?
とにかく、動物実験だとか三味線だとか猫を食べる文化だとかそういうものに反発するつもりは全くないですけど(そういうのに無邪気に反発する人は大抵「他者」やら「仕組み」やらなぞ全く知ろうとしない、ただの良い子的おばかちゃんだと思います)、なんにせよ、できる限り多くの野良猫たちが、できる限り「幸せ」になりますように。
2005/8/17 03:04
笑われるのにはもう慣れた。
バカにされたって構わないね。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
2005/9/5 03:01
いのちは。
いのちで。
あるからして。
いのちなのだ。
きっと。
2005/11/4 02:57
なんか寒いわね。
結構厚着してるのに。
飲酒してほろ酔いになっても寒い。
ムクたちのことがとても心配だ。
君がいなくなると胸が痛くなる。
無事に。無事にまた傍に。
「全ては愛で満たされている」。
じゃあ、君がいなくなった世界は。
世界は?
世界は「全て」から阻害されてしまうのかしら?
善意なんかじゃなく、感情のままに。
「あなたは愛を与えられるはず」。
「あなたは親切にしてもらえるはず」。
思いもかけない存在に。
何が足りないのかな。
愛は消えないのかな。
元凶はそこなのかな。
嘘は嫌いだよ。
2005/11/11 09:03
ムクが。
ムクが。
里親のもとに行くことになりそうです。
いろいろあって現在いったん保護して入院させてるんだけど、それが終わったら。
うちじゃなくて、他の人のもとへ。
それが一番良いってことはずっとわかってた。
でも、心がすんなり受け入れてくれるわけがない。
悲しい。
寂しい。
君がいない世界は。
世界は?
???????????????????????
2005/11/13 01:29
ムクと、一週間だけ暮らすことになりました。
里親さんにお渡しするまで、ということです。
(ほんとは自分がムクと一緒に暮らしたいけど、住んでるところがペット禁止等々等々等々等々の制約があるので、紹介してもらった、「長毛の猫ならうちで引き取りたい」と言ってくれてる里親さんのところで暮らすのが一番だろうと。)
最初からきちんと、当然のようにトイレで排泄しましたよ。
やっぱりもともと飼い猫だったみたいで。
避妊手術のために保護して入院させたんだけど、病院に面会に行ったら、お医者さんに、「開腹したんですが、もうこの子は避妊手術済みでした」と言われた。
避妊手術までさせた上でムクを捨てたクソが多分今でも世界のどこかで、そう遠くないところで長らえてやがるみたいで。
退院して、一時的にうちに連れて帰った途端、ありえないほど馴染んで。
布団で寝たり、座布団で寝たり。
怯えもしないし暴れもしない。
ムクと一緒に暮らしたいとずっとずっと思ってた。
引っ越すことだってずっと考えてましたよ僕は。
「野良猫の実態」だって知ってる。
嬉しさなんか全くといっていいほど無いのよ。
寂しいだけ。
"i'm not living, i'm just killing time."
"your tiny hands. your crazy kitten smile."
頭の中を「TRUE LOVE WAITS」ばっかり流れんの。
寂しい。
僕は自分のためにしか生きてないし、それはこれからも変わることはないね。
死んだって変わらない。
2005/11/17 02:29
"chemical reaction."
遠ざかってゆくスピードとか。
時間の速度とか。
全くわからん。
言語というのは多分、完成された不良品なんだと思う。
だから齟齬やら理解やら愛やら憎しみやらが存在して、なのに誰もがそれでも何かを伝えようとして、それで齟齬やら理解やら愛やら憎しみやらが生じて、芸術が生まれて、完璧に生きていなくていいようなバカは生き続けて、可能性さえわからない存在は死に続けて。
長い長い数日間。
長い長い数日の間、大抵のことから断絶されてた。
短くて仕方のない年月。
「完璧に矛盾のない矛盾した世界」。
いつも頭の片隅にある言葉だけど、嫌なくらいにそれを実感してる。
数日間の凄まじいなんやかやを経て、ムクと(どちらかが)死ぬまで暮らすことになった。
でも、そこに実感や喜びなんか欠片もない。
寂しさやらやり切れなさしかない。
知識に溢れたみなさま、ねえねえ、どこからどこまでが"chemical reaction"なんですかねえ?
教えろよ。
猫活動してる知人が紹介してくれた人がムクの里親になることがほぼ正式に決まったので、直接会って、里親になりたい理由を聞いたら、
「家が古くてネズミがいっぱい出るから、ネズミ捕まえて欲しいんですよーははははー」
って。
しかも、ムクは騒がしい子供が苦手なのに、
「うちは子供が多くていつもみんなドタドタ走り回ってるんですよーはははは-」
って。
これはまずいんじゃないかと思って、いろいろと考えた挙句に後日改めて電話して、「あれからいろいろと考えたんですけど、ムクはたぶんネズミを積極的に捕まえたりするような活動的な猫じゃないのでネズミ捕まえるとかそういう期待にはたぶん応えられないですし、あと、以前子供に追いかけられたりいじめられたりしてたことがあるので、そちらの環境ではちょっとムクはしんどいかなあと思うのですが・・・」等々と、とりあえずその時点で思ってることを話したら、雲行きが怪しくなってきて。
そういう話を今さらになってするのは良くないことはもちろんわかってたから、それに対して文句言われることとか自分が叩かれることは覚悟してたけど、それだけじゃなくて、紹介してくれた人たちのことやその人たちの猫活動のこととかまで悪く言い始めたので、こっちが悪いところは謝罪しつつ、それは違うということに対しては丁寧に「こうこうこうだからそれはおかしいと思います」って筋道立てて説明してたらどんどんキレ始めて。
「納得いくようにちゃんと説明しろ !」って怒鳴るから納得いくようにちゃんと説明したら「ん?ああ・・・そうだろ?俺もそう言っただろ?ああ!?(言ってない)」とか「だから・・・ほんとお前はああいえばこういうやつだな!なんなんだお前!」とか言って怒鳴ってきて、「いや、あなたが納得いくように説明しろって言ったから説明したんじゃないですか」って言ったら「そういうのを屁理屈っていうんだよ!」とか言ってまた怒鳴って。
これは埒があかんな、ますますムクを任せるのは厳しいな、等々と思いながらも粘り強く話をしてたら、「お前らのやってることは偽善だ!」とか言ってとにかく怒鳴りちらし始めて、最低限の論理も通じないくせに、「優しさ」やら「愛情」やらを語り始めて、それがもう、とても聞いていられない内容で。
その辺でとうとうこっちがブチギレまして。
偽善かどうかなんてどうでもいいけど、いつまでもそんなくだらない講釈聴いていられるかと。
おかしいところ全部指摘した上で「あんたなんかにムクを任せられるか!」と。
出会い系からの不正請求電話を思い出した。
そして翌日、その人を紹介してくれた方から「先方からこうこうこういう電話がかかってきたんだけどどういうことか」と電話がかかってきたので、電話の内容を大雑把に説明して、「せっかく紹介していただいたのに本当にすみません」と謝って、「やっぱり自分がムクと暮らします」と。
その人は本当に本当に猫のことを何よりも誰よりも一番に考えてる人だから、「悪いけど、(経済力もなくてペット不可の家に住んでる)ポール君のところでムクちゃんが幸せになれるとは私にはとても思えない」と正直な気持ちを涙ながらに話してくれたんだけど、 で、また少しケンカになったりもしたんだけど、とにかくまあ、こうなってしまったからには自分が引き取ります、と。
(中略)
根の善悪なんか、「優しさ」やら「愛情」なんかじゃ全く測れない。
「完璧に矛盾のない矛盾した世界」。
(中略)
なんで命とか何とかはこんなに重くて軽いのかな。
なんで命なんかあるんだろう。
「好きだよ。」で全てが済めばいいのに。
男女の惚れたはれただとか生き物だとか、そういうことじゃない。
「君が好きだよ。」で、全てが終われば。
完璧に生きていなくていいようなバカは生き続けて、可能性さえわからない存在は死に続けて、それでも「全ては愛で満たされている」、それは完璧な真実。
これは矛盾じゃない。
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