感情と感傷と観光と感動をぶち殺す際の戯れ [通院日]
三日月に漂泊したピアスをぶら下げて [労働日]
37歳になる前後の記録(修正版) [非労働日]
夢の端で [労働日]
永遠に永遠に届かない [労働日]
総閲覧数は何もしていないうちに200,000を超えたというのに、このブログを始めてから10年以上が経過したというのに、現職についてから丸三年が経過したというのに、1980年4月22日に僕の母子手帳ができたっていうのに、お赤飯は炊いていないのに、グロいのがこの世の全てだというのに、永遠には挑むだけ無駄だって知っているのに、知っているはずなのに、月一ペースで東京に行ったりもしているというのに、アラサーでもアラフォーでもない35歳がもう終わってしまったというのに、フェイスブックに登録もしているはずなのに、インスタにも登録しているはずなのに、ツイッターもやっているはずなのに、TポイントもRポイントもdポイントもビックポイントもナナコポイントもリーガルポイントも口座のカネも睡眠薬もそれなりに溜まっているはずなのに、相変わらず何も生産的なことはしていないのに、建設的な議論も交わしていないのに、タイピングの速度もあまり早くないのに、夏が終わりかけているのに、秋が近づいているのに、もうすぐ僕の大好きな朝5時半もやってくるというのに、雀の轟音は聞こえず、カセットテープのノイズは消えず、メロディーは踊らず、リズムは取れず、グルーヴは起こらず、楽しい楽しい音楽の時間は来ず、苦しい苦しい音楽の時間は消え、ロックンロールは始まらず、ゲスみたいなバンドはゲスゲスし、知的風なカリスマーは映画音楽を作り、ベンジーのグレッチは儚く、一人セッションはもう空回りすらせず、確かに在ったはずのこわれものたちを形作る黒い鉛は少しずつ風化し、プレミアム会員への誘いは日々絶えず、国籍も変えず、メルアドも変えず、いつだって待っていたのに、僕を置いていかないでなんて言ったりしてメロメロしていたくせに、我が子にはメロメロしてほしくないと、普通でいてほしいと、少なくともできる限り普通の環境を全身全霊で捧げるのだと、そしてその上でメロメロしたりグレグレしたり夜の校舎窓ガラス壊して回ったり気紛れにどっかの国家の中枢をハッキングしたり覆面被ったりパンスト被ったりするのだったらそりゃもう全部自分のせいだからねと、親としての責任は取るけどあとは自分でやるんだからねと、ニートになってもスネップになっても知らないからねと、むしろそのとき生きてたらある意味奇跡だからねと、そんなことをデレデレとつらつらと心の中でつぶやく自分はなかなかに退屈で窮屈な存在で
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満天の星空の下でただただ寒くて震えている子供の気分
誰も来やしない
でもここで待ってろって言われたから
すぐに助けを連れてくるからって言われたから
絶対に動くなって言われたから
もしかして震えも動きに入るのかなとか
だから誰も来ないのかなんて悟ったように
でも寒い
とにかく寒い
風通しの良い秘密の庭に憧れて
自分だけの薄暗い部屋の中で
幻想になっておいでよって
妖精みたいな人が現れるのを
全てが気が狂ってしまいそうな快感にさらわれていく瞬間を
もうすぐ朝が来そうな、生温い暗闇を
ただただひたすら待っていた自分の中に間違いがいったい幾つあったのかちっとも数え切れないままきっと大して短くも長くもない生涯を終えることになるのだろうなと
あれ、これで何個目だって常に日常的に当然のことのように焦りながら
僕はさだまさしなんかより遥かにボブ・ディランになりたかった
そしてボブ・ディランよりジェイコブ・ディランに生まれてみたかった
でもそれよりもずっと、もう少しだけまともになりたかった
旧友たちと同窓会で再会してきゃいきゃいしたりしたかった
僕には決してできないことばかりをできてしまいたかった
あっという間に三十七年目が始まってしまった
免疫力の低い子供や中年が咳込んでしまうほどに澱んで濁った空気の中で
現実感が薄れてゆく [労働日]
高校時代からの長年の夢を叶えたというのに、懐かしい人と思わぬところで再会してしまったせいか、何故か高校時代のことばかり思い出して、ボーナスで北海道旅行計画したりしてる自分のことが自分の中でどんどん遠くなってゆくのは、離人症の名残なのか単純に離人症の再発なのかはたまたただ健全なだけなのか、ほんとアホみたいでバカみたいだけどそんなことでいちいち考え込んでしまって、 結局どれが正なのかは全然わからないんだけど、でもただただとにかく現実感が薄れていってしまっていて、そこに厳然たる事実として残るのは、今自分がそれなりに大きな会社で障害者雇用ながらもCADスキル一つでなんとかやっていることだったり、もうあと三ヶ月弱で三十六歳になることだったり、同時に入社してから丸三年が経過するってことだったり、「三十三歳くらいだと思ってました・・・押忍!」と二十六歳位の社会人二年目の子に言われたことだったり、突然スピッツのアルバムを最新作以外全部買い揃えたことだったり、Throwing Musesの『The Real Ramona』をポチッてワクワクしてたのに店側の都合でキャンセルされて落ち込んでいることだったり、相変わらず小島麻由美の「夏の魔物」のカバー聴いて泣きそうになることだったり、もう十年以上もロヒプノールに生かされていることだったり、いまだにMAX+α服用してるってことだったり、それらのせいか肝臓の数値がちょっと二次曲線的に悪くなってるとのことで今度二泊入院して肝臓の組織取って検査することだったり、その病院はもちろん七年前に地下病棟に入院したのと同じ病院なんだけど今度は精神じゃないから地下じゃなくて地上5~12階に入院するってことだったり、そこは六人部屋じゃなくて四人部屋か個室になるってことだったり、息子がもうすぐ二歳と四ヶ月になるということだったりして、やっぱり自分は今人生最良かつ最悪な時間を過ごせているんじゃないかと思って酷く現実感が薄れてしまうことだったりするので、やっぱりよくわからない。
昔、某所で、二児の父親になった某主任さんが、「俺のブルーズはどこへ行った!?」と叫んでいたことを今でもごく最近のことのように思い出すのだけれど、 そしてこれらの感覚は某主任さんのそれと似ているのかもしれないなあと思うときもあるんだけれど、でもそれに近いと言える様な感覚は自分の場合もうずーっと前からずーっとあって、何故かって言ったら僕はもう二十三~二十四歳の頃からそれ以前のようには曲を作るということをしなくなったからで、それでも三十歳くらいまでは「いずれまた前みたいに作るようになるんだろうなあ」と他人事のように思っていて、そしてここ何年かはそれが「作りたくてしょうがないのに何故だか心が制作に向かわない!それでも生きなきゃ!」って感じに変化してしまっていて、その変化というのはとてつもなく大きなもので、ある種の生まれ変わりに近いと言っても差し支えないくらいに大きなもので、それを自覚しているのだからじゃあ自分はやっぱり結婚とムクの最期と息子の誕生をきっかけにある意味一度(あるいは三度)終わったんだろうと頭の中でぶつぶつ呟いたりしているわけで、これはやっぱり健全なのだろうと。
だがしかし、そうなると、僕は自分の中で「ただの三十六歳近くの病気もち」になる。
これはよろしくない。
精神衛生上非常によろしくない。
もちろん身体も変わらずよろしくない。
「せめて息子が大学を出るくらいまでは・・・」などと真剣に考えてしまう。
「お母さんより先には、、、」なんてことは、容赦どうこうじゃなくて、ってこれはまあいいや。
「やっぱり将来のことを考えると、それでも本当はきょうだいがいたほうがいいんじゃないか」とかも考えたりする。
僕には現在スネップの兄がいるのだけれど、僕の少年時代といえば頻繁に理不尽に兄にボコボコにされるのが普通で、(中略)で、そして現在では自分の中では最早兄は他人で、母の負担とか息子のこととか考えるとむしろいなくなっちゃったほうが様々な面で都合がいいんだろうなとか考えちゃったりしていて、まあ早い話が酷く兄不幸で兄不孝なんだけど、それでも「兄がいるということ」自体にはさほどネガティヴな気持ちにはならないものだったりして、それを考えると、「息子にもきょうだいがいれば、将来物理的に分散できる負担もたくさんあるよなあ・・・」とか思ったりするわけで、つまり自分はある意味立派に親だったりもする。
それはたぶんよろしくないことではない。
で、此処ら辺で思考がすでに二周くらいしてしまっていることに気づく。
年齢的には螺旋階段的だけれども、思考的にはただの周回。
三次元でも四次元でも五次元でも無限次元でもない、ごくごくありふれた二次元の世界。
そこでは平面と断面から三次元を頭の中に思い描かなきゃいけない。
そしてそれを実際に仮想的にディスプレイの中で三次元に起こさなきゃいけない。
たとえその才能が、あるいはそれに直接的に繋がる素養が、自分には致命的に欠けているのだとしても。
カネもらってるしね。
それしかないからね。
そして最近、ようやくムクの遺骨を庭の木の下に埋めようかなあと思えるようになってきた。
僕がそこに一緒に眠ることは法的に不可能だけれど、でもそれができたら僕はまたひとつ「ただの病気もち」に近づくのだろうと。
近づけるのだろうと。
ポエまない/ポエみます/ポエむとき/ポエめば/ポケモン [労働日]
萎れてしまった悪は為す術もなく赤旗を振るだろうね
今日も一日中ハインツ舐めながらトランプを破いていた
百均で百個、合計一万八百円で買ったやつ
さっき資源ゴミに出した
目指す先には荒野は無いのではないかと
それで少し浮かれて
少し調子に乗って
乗りすぎたりしないように細心の注意を払いながら少し調子に乗って
浮かれすぎたりしないように細心の注意を払いながら少し浮かれて
でも細心の注意なんぞが人の心を左右するはずも無く
心は離れてしまったようだった
曖昧に頷いた
震えを震えで制し
立ち上がった先でのどごし生を三本飲んだ
人生がどうやら狂うのを止めたがっているようだ
病気はもうそりゃしょうがないとしても
少しでもまともな人間になりたいと
少なくともここで踏みとどまれるようにと
これ以上はもう1mmたりとも落ちてはダメだと
光を見ていたいと
見ていなければと
もうすぐ四巡目を迎える人生が仰っておられる
引き攣れはとうに消えた
孫引きもとうに止めた
お願いだから針を刺さないで
ちくちくするから
ローラー滑り台みたいにちくちくするから
静電気は静かな電気
高気圧の日には気圧が高く
弾け飛んでしまいそう
それはやっぱり花火みたいだった
ソメイヨシノより遥かに速く咲いて散る花火はとてもとても美しくて涙が出た
一瞬交差したんだったよね
フェイド・インしてフェイド・アウトしたんだったよね
あのときはまだ二巡目の終わり頃だったんだよ
ほんと嘘みたい
最近ようやく受け入れられるようになってきたよ
自分も変わってしまったんだと
少なくとも、同じくらい踠いた人たちからはそう思われても仕方の無い状況になってしまったんだと
「君は勝手に幻滅してきたけど、じゃあ君は何が違うっていうんだ」って
違いません
何一つ違いません
仰る通りです
それで踏みとどまれるのならそりゃもう百点満点ですよと
いやもう一万八百点くらいあげちゃおうかしら
相変わらず目付きは悪いからね
むしろ今が一番酷い
まともでいたい
ずっとトイザラスキッズ
僕らはトイザラスキッズ
夏の午後 [非労働日]
<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm27575541">【ニコニコ動画】【NNIオリジナル曲】「夏の午後」 【青春ではなくドナドナ的な俗物】</a>
スリーコードの疑心暗鬼に倒錯したジュリエットが「私を救いもできないのに私以外の誰かに一瞬でも惹かれたというのなら私の心からその手を放せ。」と叫ぶような、救いようのないゲスいお話。
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2001年6月29日、20歳のとき、5分で作詞し5分で作曲したやつです。
見ての通り、ドナドナを歌詞の下敷きにしてます。
演奏は当時のものです。
歌声を録った日は結構な風邪を引いてて喉がガラガラでした。ちょっとしんどかったです。
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こないだの「まぼろし(love forever, live forever)」もそうですけど、最近、昔作った曲を、再発掘というか、最低限聴けるレベルにまで修復するという作業を行ってます。
この作業を始めたきっかけは、音楽経験ゼロの状態で今年の4月に音楽の専門学校に入学して、毎日DTMを学んでいる、今度19歳になる友人(約10年前、バイト先で出会ったパートさんの息子さん)(出会った当時は小3か小4だった)が、僕の曲を聴いてみたいと言ってくれたことで、そして実際にこの作業を日々ちょこちょこと続けている最大の理由は、もちろんその友人にちゃんとしたものを聴かせたいからというのも大きいんだけど、それよりも何よりも、この作業を始めるにあたってたくさんの過去曲を聴きかえした時に、こいつらを、自分が心血注いで作ったこの曲たちを、できる限りあるべきかたちにまでもっていってあげたいと思ったからだったりします。
今となっては時代遅れな曲だったりするかもしれないけど、でもそんなこと以前に、とにかく自分の歌声が酷過ぎて、それですべて台無しになってしまっているなあと。
演奏とか編曲は今でもじゅうぶん聴けるものが多いんだけど、というかむしろ歳取った今聴き返すと「なんだこれ、なんでこんな曲構成や歌詞や編曲思いついたんだ、絶対今じゃできないぞこれは」等々とびっくりしたりするんだけど、 しかしそれらも歌声の酷さがかき消してしまう。
もったいない。
モッタイナイー。
この曲たちも、これを作った当時の自分も、あまりにも不憫。
かといって、今の環境で歌声を録り直すのは非常に困難。
ではどうしたものか。
う~ん。
う~ん・・・。
(ポクポクポクポクポクポクポクポク。)
・・・あ、そうだ。
(生産が禁止されそうな白熱電球が脳内ピコーン。)
今あるPCと技術で歌声を修復すればいいんだ。
それがうまくいけば、本来あるべきかたちの8割くらいのところにまでは近づけてやれるかもしれない。
決定。
じゃあ早速MTR引っ張り出して始めよう。
・・・とまあ、そんな感じです。
作業自体は今年の9月から始めておりまして、現在十数曲修復がほぼ完了しておるのですが、素人動画全盛期を迎えているこのご時世、なんとなく自分の曲も動画にもしておきたいなーという気持ちもあり、そしてその作業にまた思いの外時間がかかるということもあり、その十数曲で修復作業はいったん中断しております。
が、動画にするしないに関係なく、公共電波空間に晒す晒さないに関係なく、基本的に自分の中で修復する価値があると思える曲は全て修復しようと思っております。
で、修復結果、聴くに堪え得るものだと判断したら、動画にしてこのブログにどんどん晒していこうと。
このブログは僕のものであり僕の脆くてボロい楼閣であり、人に迷惑をかけないレベルでの独善的行為がソネットと僕によって許可されている場所でもあるので、 ここにどんどん晒していこうと。
そう、全ては自分のため。
F にはならないが自慰にはなるかもしれない。
わかりにくくてつまんないジョークで終了。
・・・あ、そうそう、上記のDTMをがんばってる友人ですが、彼がそもそもDTMをやりたいと思ったのは、僕があげたいろんな曲を詰め込んだCDを聴いて衝撃を受けたのがきっかけだそうで、それを聴いたとき、あたしゃ嬉しくて嬉しくて涙ちょちょぎれそうになりましたよ。
自作曲では目標としていた場所まではとても到達できなかったけど、そんな自分でも後世に残してゆけるものがあるんだなあと。
昔々、こんな歌詞を書いたことがあります。
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音楽には力がある 大きな 小さな 力が
それが 僕のものでなくてもいい
僕の音楽なんかじゃなくていい
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もちろんできれば僕の音楽だと嬉しかったんですが、音楽には、本当に本当に力があるんですよ。
大きな、小さな力が。
それはきっと、人類が滅びるまで変わらない。
まぼろし(love forever, live forever) [非労働日]
<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm27393273">【ニコニコ動画】まぼろし(love forever, live forever)</a>
作者は作品に対してあまりああだこうだと言うべきではないと思うけれど、この曲に関しては若干の説明が必要だと思うので、以下補足
・この曲を作ったのは2001年2月、20歳の時
・当時、「間違い探し」というろくでもない曲を作っていたんだけど、作詞に行き詰って、ちょっと気分転換したほうがいいかもと思い、息抜きのために作ってみた小曲だった
・息抜きってことで、試しに「将来がこんな感じになったらいいだろうなあ」と漠然と考えてたことをぱぱーっと言語化して歌詞にしてみたんだけれど、「いやいやこんなことはありえんわ、ないわ」というのが率直な感想だったので、タイトルも適当でいいや、「まぼろし」とかでいいやと思って、「まぼろし」になった
・なので、当時の自分にとっては夢物語以上の意味はない曲だったし、自分の曲なのに感情移入も全くできなかったけど、それでいいやってことでこの曲はいったん終了した
(・ちなみに歌声も演奏も当時のもの)
・数年後、ムクと暮らすようになり、間もなく同居人に揃って追い出され、ムクと僕は一蓮托生になり、やがて完全な家族になった
(・幼少期からずっといろいろとややこしかった僕にとって、ムクは初めて「家族」と思える存在だった)
・さらに数年後、ムクと二人暮らしをしているとき、所用のためこの曲をICレコーダーで録音していたら、ムクが邪魔をしてきた
・全くもうと思いながらその録音を聞いてみると、絶妙なタイミングで鳴き声が入っていて、以来、この曲はその鳴き声ありきの曲になり、気付けば自分にとってとっても大切な曲、「ムクと僕の曲」になっていた
・同時期、歌詞に「まぼろし」以上の意味と願いを込めたいと思うようになり、英語の副題を付けた
・赤面ものの副題だけど、他に適当な言葉が全く見つからなかった
・その後、いろいろなことがありながらもムクとの暮らしは続き、ムクはずっとずっと大切な家族だった
・ムクと暮らし始めたとき、「絶対にムクの最期を見届ける」と決めていた
・2012年6月21日、ムクは僕の目の前で静かに息を引き取った
・それから三年余りが経過し、先日、PCで曲を少し修正した
・そこに改めてムクの鳴き声を重ね、ムクの写真と歌詞を重ねて動画にした
以上
~つきなみだ(仮称)さんへ~
まず、コメントに対する返事ができないままになってしまっていて本当にすみません・・・。
時間と精神的余裕ができたときにじっくりゆっくり書こうと思っていたのですが、どっちもあんまりできなくて、結局返事ができないまま、なんとまあ、9ヶ月が経ってしまっていました・・・。本当にすみません・・・。
(てか9ヶ月て・・・。さっき日付確認してびっくらこいた・・・。 )
本はまだ入手できていませんが、数年以内には必ず読むつもりでおります。
そして祝福コメント、本当にありがとうございました!
結婚だとか息子だとか、35歳になったというのに正直いまだに変な感じがするというのが本音ですが、でも息子はすくすくと成長していて、息子と過ごす時間も非常に楽しくて、それはとてもとても素敵なことだと思っています。
で、この曲に関する話なんですが、大昔、この曲を「ギターポップ」と言ってくださったことや、ムクがにゃおにゃお言ってるのが最高だといってコラボしてくださったこと、 あの頃のつきなみだ(仮称)さんの言葉やつきなみだ(仮称)さんとのやりとりが、自分の中で今でも特別なものになっています。
自分で自分の曲がどうなのかっていうのは、正直どれだけ時間が経ってもわからない部分が大きいので、あの頃のあれらの出来事がなかったら、この曲は自分以外の人にとっては大したものじゃないんだなと判断して、埋もれたまんま、表には出さないままで終わりにしていたと思います。
(もちろん、「ムクと僕の曲」であることには変わりはないので、こういう形で動画にするまではやったかもしれないですが。)
が、 あの頃のあれらの出来事があったから、また改めて曲をいぢいぢしてみたり、こうしてブログに晒したりしてみようという気持ちになれました。
文章のまとめ方がうまく見つからないんですけど、とにかく、つきなみだ(仮称)さんには本当に本当に感謝しています。
コメントも、あの頃のあれこれも、本当に本当にありがとうございました。
よかったら聴いてみてくださいね。
故郷の呪縛(のようなもの、というかなんというか、まあそんな感じのもの) [労働日]
子供が産まれてからというもの、そういうのを強く強く感じるようになった。
昔々某所で書いたとおり、ホームシックなんぞに罹ったことは一度もないんだけれど 、なんというのか、当然のことながら、「生まれた場所」、「幼少期を過ごした場所」というのは変えられないんだなあと。
僕は岡山県生まれで、高校まで岡山県で暮らしていて、それ以降はずっと愛知県で過ごしているんだけれど、「故郷は何処?」 と聞かれたら、「岡山県です」としか答えられないわけで。
ホームシックなんぞに罹ったことはないのだとしても、その事実はどう足掻いても変えられないわけで。
で、同様に、うちの子がこれから先どんな人生を過ごすことになったとしても、将来同様の質問を投げかけられたとしたら、 「愛知県です」としか答えられないわけで。
それってある意味呪縛(のようなもの)だよなあと。
否応無しに一生ついてまわる。
つまり呪縛(のようなもの)だよなあと。
なんでこんな風にネガティヴな感じにしか書けないのかと言われたら、 答えは簡単で、自分の場合、「故郷」に対しては負の記憶ばかりが残っているから。
まあベタですよね。
ベタ中のベタですよね。
でも、色々とひねくり回しまくってできる限り複雑に複雑に考えても、逆にめっちゃシンプルに考えてみても、「根本」は「故郷」にあるわけで。
逃げ出した「故郷」にあるわけで。
そして、逃げ出したからこそ、呪縛(のようなもの)は強いわけで。
逃げ出しちゃったから、一生逃げられないわけで。
まあどうしようもないですね。
はい。
あなたに、とっておきの秘密を教えてあげるよ。
いつの日か、然るべき時が来たならば。
その時、あなたはまた冷たい表情になるのかな。
暫しの間、怖くて怖くてどうしようもなくて、震えが止まらなくなる程の。
あれはちょっときつかったな。
子供がいなかったら間違いなく耐えられなかった。