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'We're going home.' [非労働日~労働日]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"HOME AND DRY"

 

5年くらい前に、少し試聴して以来、ずっと欲しい欲しいと思っていて、でもなぜだか買うまでには至らなくて、CD屋に行ってこの曲の入ってるCD(『Release』)を手に取っては買うかどうか迷って結局棚に返してというのを繰り返していて、そしたらこの数日突然めちゃくちゃ聴きたくなって、ああどうしよう買おうかなと思ってたらそういや今は便利なようつべさんがあるじゃないのよということにふと気づいて早速観て聴いてみたんですけど、ああ、これ、すっげーいい

 

(もちろん、ヴォルフガング・ティルマンスの素晴らしすぎる映像も)

 

翌日近所の中古CD屋さんで¥1200ですぐに購入

 

「home and dry」って不思議な言葉だよなあ、「home」って使いやがってちきしょうとか思いながら、どういう意味なんだろうと思っていたんだけど、日本語訳に、「成句で、目標を完遂させる、(目標を達成して)無事であるといった意味」と書いてあって、へえ~という素直な感情と、やっぱり英語って不思議だなあという気分とがごちゃごちゃに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

And you're making me feel like I've never be born.

 

 

 

When I was a boy, everything was right.

 

 

 

 

 

 

想像力の乏しいあの人のために

 

やっぱり僕が見せつけなきゃ焼きつけてあげなきゃいけないのかもしれないと

 

「死」というものがどういうものなのかを

 

たぶんほとんど(もしかしたら全く)「死」を経験したことのないあの人のために

 

ふと気づいてふと思った

 

 

 

僕はたぶんそれなりに「死」を経験してきた

 

実家で飼ってたたくさんの仲の良かった鳥たちの死

 

自分でこそこそ調べまくって知った伯父が孤独死に至るまでの経緯

 

友達の友達の自殺

 

旧友の親友の自殺

 

大好きな人の恩人の自殺

 

知人の自殺

 

旧友の自殺

 

「かぞく」よりも友達よりも誰よりも何よりも仲の良かった鳥の死

 

(僕の無知な「優しさ」があの鳥の寿命を縮めた)

 

怪我していると思い込んで連れて帰ってきた小鳥(雀)がふらふら飛んでいってそのまま壁に激突して木の中に落下する瞬間

 

(僕の無知な「優しさ」があの雀と親との関係を引き裂いてその雀を死に追いやった)

 

86歳になるまでたくさんの死を経験しながらもそれでも生きているでもそう遠くないうちに死んでしまうと思われるおばあちゃんの重すぎる一言

 

おじいちゃん

 

生命維持装置やお金で意識もほとんどないまま生かされて苦しそうなおじいちゃんの顔

 

おじいちゃんの死に顔

 

頭に焼きついて消えることのないそれら二つの顔

 

おじいちゃんの死に顔を観て車椅子から降りておじいちゃんの死体の入った棺桶に突っ伏して何か呟きながら孫(僕)にも気づかず静かに泣きつづけていたおばあちゃん

 

おじいちゃんのお墓

 

杖を突きながらなんとか歩いて先祖やおじいちゃんのお墓に向かって小声で話しかけて目を閉じて祈って煎餅を供えるおばあちゃん

 

その後「おばあちゃんは息しとるだけじゃわ」「おばあちゃんはもう長うないわ」と言ったおばあちゃん

 

 

 

死を選ぶことだけは(一度の例外を除いて)絶対にしなかったしこれからもしたくない

 

 

 

「大切な人(生き物)の死」がどれだけどれだけ苦しいものなのかを絶対にあの人は知らなきゃいけない

 

じゃなきゃ

 

あの人はたぶんいつまででも自殺を試みる

 

「また死の誘惑がやってきた」とか「死にたい」とか「もう死ぬしかない」と泣き喚き続ける

 

そしてそう遠くないうちに死んでしまう

 

 

 

それなら僕の死に顔を見せて

 

身近な人(生き物)の「死」がいったいどういうものなのかを教えた方がいいのかもしれないと

 

「その後」のことは本当にわからないけれど

 

あの人のためになるのだとしたら僕の死くらいたぶん本当に大したことじゃないと

 

 

 

くどいと思われるかもしれないけど本当にこれ以上「身近」な誰かの死に顔は観たくない

 

 

 

 

 

 

 

今日と昨日(昨日と一昨日)は本当に良い一日だったなあ。

 

 

 

明日(今日)も良い一日だといいな。

 

 

 

もちろんこれから先もずっと。

 

 

 

それを積み重ねて、老後を迎えられるといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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コメント 4

kotani

何か考えさせられる日記だな。徒然草でも吉田兼好が人間は戦場で敵に無かう兵士と同じように死に向かう存在云々言っていたような気がするが、ある意味死ぬために生きているようなものでもあるのだ。嘔吐タケシの死に対する執着はそういう意味で興味深い。
by kotani (2007-04-29 22:04) 

ポール

「嘔吐タケシ」とか言われると幼少期のトラウマがあぁあぁ・・・(たぶん僕は「つけられたあだ名の数」でギネス申請できる)(まあ誰でも申請はできるんだろうけど)(そして絶対しないけど)。

というか、まさかここで徒然草が出てくるとは(笑)。

「死に対する執着」というとあれなんだけれども(なんだ?)、とりあえず興味をもってもらえることは嬉しいことですわいな。

でも、「敵」は本当はいないのかもしれないとも漠然と思うのだよあたしゃ。いやほんとに思想の右左云々じゃなくて。

っちゅうかですねえ、消そうと思ってたやつにものの見事にコメントをくれるのな匠ちゃんは(獏)。
by ポール (2007-05-03 00:24) 

kotani

w


敢えて言うなら敵は時間かな。
by kotani (2007-05-03 02:09) 

ポール

P



(↑意味無し)


時間は「味方」になることもある(らしい)けど、でも敢えて言うなら確かにねえ。
by ポール (2007-05-07 19:26) 

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